shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20221216:持ち家それとも賃貸? 「公園廃止」についての感想

こんにちは。白野狐です。今年も終わりに近づいて世間もなにかとあわただしい日々が続いております。コロナやインフルエンザのこともありますので、この世界の皆様には健康にご留意いただいて、すこしでも平穏な来年を迎えられるようにしたいものです。

 

今回のお題は「持ち家それとも賃貸?」という私ども庶民には全く意味のない問いです。「お金がないから賃貸一択」で話は終わりです。なぜ、これをお題にとりあげたかというと、「子供の声がうるさいので公園廃止」というニュースを読んだからです。それについて思うところを記しておきたいと思います。つまりこれから書くことは私の個人的意見なので、そこはご了解いただきたいと思います。

 

といいましても、大したことは考えていません。当地の住民でもない私の感想はただひとつ、「引っ越せばいいじゃん」それだけです。それで苦情の当人は騒音から解放されてハッピー、子供たちは思うさま遊べてハッピー、行政は余計な仕事から解放されてハッピーと、まさに「三方良し」の典型例となるはずです。もっともこの場合はニュースにならないので、このような駄文を記すこともないのですが。

 

さて、今回考えてみたいのは、このような明白な明朗解決の方法があるにも関わらずなぜ、それが選ばれなかったのか、ということです。苦情の当人は大学の先生だった人だそうで、頭の悪い人とは思われません。農家のように土地に縛り付けられる職業ではありませんから、それが「引っ越しできない」理由でもなさそうです。

 

そこで考えられるのが「家を買ってしまった」場合です。大学の先生といえば結構な年収でしょうし、申し訳ありませんが現地、長野県であれば都心よりは家の値段も安いでしょう、ということでこの説もあまり説得力はないのですが、「私が思ったこと」がこのことを前提に「思ったこと」なので、記してゆきたいと思います。

 

さきに記しましたように、私ども庶民は「お金がないから賃貸一択」ですから関係ないのですが、「家を買う人」はどんな人なのでしょう。安田善次郎氏のように「家の価格は総資産の一割以内」という大原則が守れれば、三軒ぐらいまでなら「ハズレ」をつかまされてもどうにかなるのでしょうが、新聞にはさまれる折込ちらしに掲載されるような家は何千万円もします。「一割以内」原則からすると「何億円」の資産が必要ですがそんな人が何人もいるとは思えません。というわけで世間の人はおおむねローンを組んで買っているようです。つまり借金です。返し終わるまで「ハズレ」ても引っ越しできません。

 

私としましては、この「公園廃止」の例に限らず、「家を買う人」のリスクマネジメント感覚に驚きます。日本みたいな災害の多い国で「住居を固定するリスク」は軽視すべきものとは思われません。地震津波のような大規模な自然災害のみならず、火事や今回のような騒音など、「生きている間は何も起こらない」と考えていないとなかなか「住居を固定する」気にはならないと思うのですが。今回の「大学の先生」がほんとに「家を買ってしまって引っ越せない人」ならばびっくり。実際は「家を買った」のかどうかわかりませんが。

 

借り物の住居ならば、このような場合にはさっさと引っ越して即円満(とならない場合もありますが)解決です。「家を買う人」はなにとぞご一考を。

 

来年が良い年になるよう願っております。「今年より悪いことがあるのか」と思うような年でしたから、あるいは希望が見えるかもしれません。この世界に生きる皆様に祝福を。

 

BGM:ベートーヴェン交響曲第9番「合唱」

   フルトヴェングラー:指揮

   バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団

   エリザベートシュワルツコップ:ソプラノ

   エリザベート・ヘンゲン:アルト

   ハンス・ホップ:テノール

   オットー・エーデルマン:バス

 

 

20221128:じゃんけんのワールドカップを?

こんにちは、白野狐です。今年もあとひと月で終わってしましますが、あまり良い一年とは、残念ながらいえませんでした。皆様はいかがでしたでしょうか。この世界に住む人々に祝福ありますように。

 

今回のお題は「ワールドカップ」です。世間ではサッカーのワールドカップが行われていて、日本のチームがドイツのチームに勝って大喜びとかコスタリカのチームに負けてがっかりとかいろいろ騒がしいようです。

 

日本のチームが試合に勝って大喜び、というところで文句を言ったひとがいて、発言を撤回に追い込まれたなどというニュースもありました。これは文句のいうひとのほうが正しくないでしょう、最初に書いたように「今年はよい一年ではありません」でした。コロナは収まらない、戦争は終わらない、物価は上がり続けるといった具合です。こんなふうに良い話がひとつもないのですから、皆様にとってちょっとでも良いニュースがあればすなおによろこぶのを邪魔することはよくありません。おとなしく自分の心の中にとどめておきましょう。

 

さて、ここからが本題です。「国際試合の勝利」がこれほど皆様に希望を与えるのあれば、その機会を増やす提案は「単なる思いつき」でもそれなりに価値があるでしょう、ということで、「単なる思いつき」をこれから書きます。それが表題の「じゃんけんのワールドカップ」です。

 

残念ながら、少子高齢化と貧困化のますます進む日本では、将来も「サッカーの試合」で勝ち続けることは不可能と考えるのが普通です。貴重な若い有能な人材に「サッカー」だけ専念させる余裕もなくなるでしょう。さりとて「お年寄りで構成されたサッカーチーム」では勝ち目はない、と考えるのが普通です。もちろん相手がある話ですので、相手のチームが日本のチームよりも平均年齢が高い、ということであれば話は別でしょうが、それを前提にして議論はできないでしょう。

 

そこで、なにかほかのことで「ワールドカップ」を開催しては、というのが今回の提案というか思いつきです。日本人が将来にわたって安定的に「国際試合での勝利体験」を味わうためにはどのような競技にすればよいでしょうか。いくつか条件が考えられます。

 

  1. 「強さ」と「年齢」の間に関係がない。高齢化の進む日本では「お年寄り」の参加が必要です。「参加できる」だけでなく「ある程度の確率で勝てる」ことが条件となるでしょう。
  2. 「技量・スキル」を磨く必要がない、あるい磨くことが不可能である。さきに「お年寄りでもある程度の確率で勝てること」を条件としましたが、さりとて「お年寄りになるほど経験とか練習量で有利」ではフェアな勝負とみなされないおそれがあります。これでは勝ってもうれしくないでしょう。「勝ちさえすればいい」という人は多数派ではないと信じております。これを「競技」というのかどうかという「ささいな問題」は残りますが。
  3. 「お金」がかからない。これはこれからますます貧しくなる日本では自明のことでしょう。先のオリンピックのときのように、選手の勝手な言い分にまかせて「新しい競技場を建てろ」なんてことをしていたのでは国がもちません。「競技を楽しむ」どころではないでしょう。

 

このように考えますと、私に思いつく「競技」は、「じゃんけん」、「新井式回転抽選機」、「坊主めくり」ぐらいしかありませんでした。ほかにあればそれでも結構です。

 

いかがでしょうか。実際のところ「オリンピック」やその他の国際試合を廃止してこれらに替えるデメリットは私には思いつきません。「お金」がかかりませんから、先のオリンピックのように逮捕されたりするひともいなくなるでしょう。「勝ったらすなおによろこび、負けたらすなおにがっかり」という健全な反応を将来にわたって確保するために有益と考えております。

 

まだ少し早いですが、来年こそ良い年にしたいものです。繰り返しになりますが、この世界に住む人々に祝福ありますように。

 

BGM:メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

   諏訪内晶子:ヴァイオリン

   アシュケナージ:指揮

   チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

20220919:「円安」について お金は大切に

こんにちは、白野狐です。この世界を懸命に生きる皆様に祝福ありますように。

 

今回のお題は、「円安」です。新しい内閣ができてから20円以上も円安が進行中で、さらに先が見えない、とのことで、モノの値段が上がって皆こまっております。「皆」と書きましたが、少なくとも私はこまっております。勤倹貯蓄を旨とするとしましても、買い物をせずに日々を過ごすことはできませんから問題は深刻です。この解決策はあまり考えつきません。たとえば、「値上げのペースより早く収入を増やすこと」なんてどうやったら実現できるのか見当もつきません。

 

問題につきあたったときには、「原因」から追究するのが王道です。問題が発生する前に「原因」をつぶしておくのが「予防」で、これが最善ですが、これにはすぐれた認知能力と判断力と実行に移す勇気(なにしろ問題発生前ですから)が必要です。とりあえず、今回の「円安」は「予防」には失敗しております、当局が「円安は問題」と考えていない可能性もありますが、私ども庶民にとっては「大問題」ですから「原因」を考えてみたいと思います。これから書くことはこの原因に対する「私の思い付き」です。その点、ご了承ねがいます。

 

新聞やテレビを見ますと、円安の最大の原因は「金利差」だそうです。前にも書きましたが、円は非常に金利が低いので、持っていてもあまり増えない、同じ期間預けるなら金利の高い通貨にしましょう、ということで皆が米ドルを買って円を売る、ということのようです。でも、「金利」は決めごとですから、円の金利も100パーセントぐらいにあげたらいいじゃん、と私は思います。毎年2倍に額が増えるなんて、秀吉を欺いた曽呂利新左エ門の気分です。

 

前にも書きましたが、日本では、金利は政府の借金が多すぎて返済が大変になるのでできないそうです。残念。

 

金利差」はどうも治らなさそうなので、他の原因も探してみました。こんな原因は考えられないでしょうか。

 

・「日本円」は大切に使われていない。

 

皆が一生懸命働いて稼いだお金から納めた税金ですから、私ども庶民が「正しく使ってほしい」というのは当然の願いと思いますが、どうもそう見えない。オリンピックとか国葬とか万博とか。あまり必要なさそうなものに使っているようにしか見えません。これらの額は、国家規模では大したものではないかもしれませんが、「このようなこと」に平気でお金を使う「行政府の金銭感覚」を世界中の皆が心配している、というのが「円安」の真相ではないかと疑っております。「心配」と書きましたが「心配」なんてしていないかもしれません。「見限っている」が正しいのかもしれませんが、日本の庶民としてはそうでないことを祈っております。

 

これが「円安の原因」ならば、対策はあきらかです。「お金は大切に正しく使う」です。これができる立場のひとに、期待はできませんが、期待してます。皆の暮らしがよくなりますように。

 

BGM:ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より

   ノイマン:指揮

   チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

 

20220815:「国葬」について

こんにちは、白野狐です。コロナはおさまらないどころか、過去最大どころか世界で一番感染者が多くなるとか、ロシアとウクライナの戦争は終わらないとか、生活は楽にならないとか、あまりいいことはありません。くじけそうになります。それでも生きていきましょう、皆様に祝福がありますように。

 

今回のお題は「国葬」です。昔の首相が銃撃で亡くなったということで「国葬」です。「国葬」が何なのかわからないので個人的には賛成も反対もしようがないのですが、世間では「反対」が多数で政府が「強行」しようとしている、というのが私の理解です。至って表面的ですが、日々生活に追われる庶民としては致し方のないところではあります。

 

このような表面的な理解の仕方の私ですが、一点だけ興味のあるところがあります。これです。

 

国葬」されれば、亡くなった方の魂は救済されるのか。

 

私の知る限り、この論点で「賛成」あるいは「反対」しているひとを見たことがありません。「亡くなった方の功績」とか「国葬にかかる経費」とかそのような論点です。もちろん「「国葬」されれば、魂は救済されるのか。」なんて答えは「亡くなった方」しか知りようがない、どころか死んだらどうなるのかわからないので、それすら怪しいのですが、誰もこの論点から疑問を呈さないので、この場をお借りして表明いたします。

 

当然、首相まで務めた方ですからお金持ちでしょう、立派な戒名をつけてもらって極楽へ行かれたと想像はできます。証明はできませんが。

 

まさか、「国葬」にして税金で立派な戒名をもらって極楽へ行かれたとなったら、私ども庶民は「もやっ」とした気分にはなります、裏口入学で入ってきたと知った同級生を見る気分です。大学とちがって極楽には多分定員はありませんから(あったら大変ですが確認はできません)、自分に害はないとわかっていても「もやっ」とします。世間の人が「反対」しているのは、「魂の救済」が「お金で買える」というふうに見える、ということが多分イヤなんだと思います。この「観点」なら私も「国葬」には賛成できません。

 

この「銃撃事件」を知ったときには、「お年寄りをひとり殺めたところで何の意味があるのかしらん」というのが最初の感想でした。ところがこのあとの経緯は内閣がまた組閣に追い込まれる事態となるほどの影響がありました。また、同じような事件がおきたときにも「国葬」を強行するのかしら、私ども庶民には関係がありませんが、くれぐれも人様の恨みは買わないように気をつけましょう。皆で仲良く手をとりあって生きてゆきたいものです。そのほうが「魂の救済」への近道と信じたい。それが私の願いです。いままで何度も書いていますが。

 

BGM:リスト 愛の夢第3番

      アルトゥール・ルービンシュタイン:ピアノ

20220709:「防衛費」はクラウドファンディングで

こんにちは、白野狐です。一身上の都合によりずいぶんと間が空いてしまいました。残念ながら、前回のブログのときから全然世界は良くなりません。戦争は終わらない、物価上昇は止まらない、おまけにコロナはまた増える、といいことはありません。このような困難にもめげずに懸命に生きる世界の皆様に祝福ありますように。

 

このブログの「決まりごと」である「てんかのいくさ」にはふれないように注意して書きます。

 

さて、今回のお題は「防衛費」です。ウクライナがロシアに攻め込まれているのを見てでしょうか、日本でも防衛費を増やしましょう、という意見がでているようです。おりしも選挙があるということで、物価上昇ともども選挙の争点のひとつとして認識しております。

 

ただ、よくわからないのは、「増額分」をなにに使うのかで、「防衛費を増やせ」という人はいますがどうするのでしょう。アメリカから兵器を買うのか、なにか自前で「新兵器」を開発するのか、外国から兵隊さんを募集するのか、有事に備えて食糧の備蓄を増やすのかよくわかりません。これでは賛成も反対もしようがない、というのが私ども庶民の「あたりまえの感想」ではないでしょうか。つまり選挙の争点にするのはもともと無理筋かと思います。まして「増額分は国債でまかなう」なんていわれて納得するひとがいるとは思えません。

 

そこで、標題の「防衛費はクラウドファンディングで」というのが今回のおもいつきです。「アメリカから兵器(ここは具体的にF35何機とか欲しいです)を買うので目標金額○○兆円」とか「(具体的に例えば、常温核融合技術を転用した)新兵器の開発実用化のために目標金額××兆円」とか「外人部隊10個師団創設のために目標金額△△兆円」とか「日本人全員のための食糧備蓄カロリーベース自給率3年分のために目標金額□□兆円」とか「使途と目標金額」を明確にして、民間から資金を募ってはいかがでしょう。

 

実際のところ、この方法によるデメリットは思いつきません。「達成できなかったプラン」は、「もともと目標が高すぎなプラン」か「みんなが必要性を認めないプラン」ですから「目標をあらためる」か「集まった金額でどうにかする」か「やめる」しかありません。

 

①自分の金を自分のために使うときには、コストパフォーマンスを考える

②自分の金を他人のために使うときには、コストのみ考える

③他人の金を自分のために使うときには、パフォーマンスのみ考える

④他人の金を他人のために使うときには、コストもパフォーマンスも考えない

 

とはかなり前にも書きましたが、ここでいう①、②が達成できるまことにめでたい方法であります。いかがでしょうか、「防衛費の増額」を主張する方々もこれで「○○億円寄付した」といえれば、真剣さも伝わりますし、防衛のあり方に対する問題意識のありかも伝わりますし、選挙でも有利になることでしょう、とメリットだらけです。

 

さらにメリットをあげれば、「日本人でないひとからも募金できる」ということがあります。イーロン・マスクさんのような大富豪が応じてくれるかもしれません。

 

私ども庶民も「食料の備蓄」ということであれば、2,3回外食を控えてその分を募金することにはやぶさかではありません。「防衛に貢献した」意識をもつこともできますし。

 

唯一、あるかもしれない反論は「お金を出さないひとがタダ乗り」ということですが、これには、少年ジャンプとかでよくある「弱者を守るのが強者のつとめ」という言葉をおかえしするしかありません。「それはマンガの世界だけだろ」というひとには無効ですが。

 

「世界の平和」は私ども庶民の共通のねがいです。すこしでも貢献できるといいですね。

 

BGM:ブルックナー交響曲第8番

   ハンス・クナッパーツブッシュ:指揮

   ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団

 

20220425:「サイレントテロ」??

こんにちは。白野狐です。季節はすっかり春めいて日光が心地よい昨今です。とまあいつもとは違う雰囲気で明るく始めたいところですが、コロナも戦争も終わらない、追い討ちのように物価が上がって私ども庶民の生活は苦しくなる一方です。物価上昇は円安が原因と聞いております。日本円の価値が下がって外国から同じものを同じ分量買うにしても日本円を余計に支払わなければならない、ということのようです。

 

それなら、円安をとめればいいじゃん。ということでそのためには「金利」を上げればいいそうです。つまり金利が高い通貨を持っていれば、その分利子が多くもらえるのでみんながその通貨を買って価値があがるということらしいです。「金利」は「決めごと」ですからそう決めればいいだけです。

 

残念ながら、日本では「金利」は上げられないらしいです。日本政府自体が大変な借金を背負っているので「金利」を上げてしまうと返済が大変とのことで、「ご利用は計画的に」なんて消費者金融の宣伝の決まり文句がこれほどぴったりな例も珍しいですが、ありがたくありません。

 

さて、本題です。このブログでは前に何度か「勤倹貯蓄のすすめ」のようなことを書きました。政府と違って私ども庶民は自分で金利を設定できませんから借金などもってのほかですが、物価上昇が激しい昨今では「勤倹貯蓄」はさらに重要なので念押しのつもりが今回の一文です。

 

家や車や子供といった「お金のかかること」には一切手を出さず、質素な暮らしをして貯金しましょう、前回のブログでも書きましたが、すこしは「寄付」をして人類の存続の手助けをしましょう、というのが(私の考える)「勤倹貯蓄」です。とはいえ、このように生活が苦しいと、「寄付」は別としても否応なしに「勤倹貯蓄」に励まざるを得ない人々が大勢おられるのではないしょうか。

 

ところが、です。このような「勤倹貯蓄」を「サイレントテロ」と呼ぶ呼び方があると知ってびっくり。というのが今回のトピックといいますか、そういうことがありました。「サイレントテロ」でgoogleとかで検索して調べてみると、確かに「勤倹貯蓄」と「サイレントテロ」の外見上の行動様式はほとんど同じですが、心の持ちようが全然違います。私ども庶民が乏しいリソースを何とか遣り繰りして生活を維持しているだけで、それを「テロ」といわれても納得いきません。以前、仕事上のつきあいのあった人から批判のメールがきたときに「ご指摘ありがとうございます。」みたいなお礼を返信したら「いやみ」と「びっくりするような解釈」をされて、「その解釈」にも「その解釈をする人」にも「びっくり」した経験がありますが、今回もこれと同じ「びっくり」です。

 

このようなことにもめげずに皆で力を合わせて生きていきましよう。この世界に住むすべての人々に祝福ありますように。

 

BGM:バッハ無伴奏チェロ組曲第1番

   パブロ・カザルス:チェロ

20220322:寄付をしましょう

こんにちは。白野狐です。コロナも収まらないうちに戦争まではじまってしまったようで幸先がよくありません。ほんとかどうか知りませんが、原発を攻撃するわ、核兵器使おうとするわ、「何でもあり」の様相です。今はやりの「拡大自殺」が国家レベルで起こるのはびっくり。このままでは、人類の滅亡がみられてしまうかもしれません。

 

「人類なんか滅んでいいのだ」という主張には全面的に反対するものではありませんが、「小惑星の衝突」といった不可抗力が原因ならまだしも、自らの愚行によって滅びるのはできれば避けたい。今回はこのような「人類の滅亡の回避」に寄与するかもしれない思いつきの紹介です。

 

さて、このブログでは「子育てはお金持ちの道楽」ということを何度か指摘してきました。それはそのとおりなのですが、それでは将来を生きる人類の数が減ってしまいます。「人類の滅亡」が近づくわけでよろしくありません。

 

なぜ、このようなことになっているかというと、子育てにお金がかかりすぎるためにあまり大人数を産めない上に、育つまで(というのは概ね大学の卒業まで)に時間がかかるので、それまでに病気や事故や、最悪の場合にはいじめられて自殺してしまう、などということになる確率がそれだけあがる。ということで「自分で子供を産んで育てる」ということがかなりリスキーなことになっているという認識です。全財産をはたいて単勝の馬券を買うのと似たことになっているのです、投資先がちがうだけで。

 

そこで、今回の標題「寄付をしましょう」です。ユニセフとかへの寄付です。さきに述べたような事情は日本みたいな国の事情であって、他の国ではそうではないところも多いでしょう。そのような国の子供たちに寄付をすることで生存の確率を高めてあげることにより「人類の滅亡」の危険性を多少なりとも減らしましょう、というのが今回の主張です。

 

「卵をひとつの籠に盛るな」というのは投資の世界の格言ですが、今回の主張は「子育ての分散投資」です。いろいろな国の子供たちに広く薄く投資することによって、自分たちの生活を損なうことのない範囲で寄付することによって、人類の存続に寄与することのできるのではないでしょうか。

 

今回のように戦火に巻き込まれた子供たちや飢餓に苦しむ子供たちが世界には数多くいることでしょう。ひとりでは大した支援はできませんが、みなさまの力を合わせてより良い世界をつくることができればいいな、と思っております。この世界を生きる人々に祝福ありますように。

 

BGM:ブルックナー テ・デウム

  フィリップ・ヘレヴェッへ:指揮

  シャンゼリゼ管弦楽団

  コレギウム・ヴォカーレ・ヘント:合唱

 

20220228:戦争がはじまったようです

 こんにちは、白野狐です。ロシアがウクライナに攻め込んだそうで、私ども庶民としましても戦火に巻き込まれたら、と思うと他人事とは思えません。ウクライナの皆様の胸中お察しします。このブログでは「てんかのいくさ」と「ひとのよしあし」については触れないことをポリシーとしておりますが、今回ばかりはお見逃しを。

 

 最初に私の態度を明確にしておきますと、庶民のみなさまのほとんどと同じく(と信じております)「戦争反対」であります。子供のころから学校などで「強い者」の暴力に痛めつけられた身としては、あらゆる暴力に反対ですし、それを肯定する方向に世の中進んでいるもの、と思っていました。人生の希望の一端をそこに置いていたことは間違いありません。

 

 どちらの国にも言い分はあるでしょうし、日本の庶民にまともな情報が来ているのかの判断も私にはつきませんが、「ロシアがウクライナに攻め込んだ」というのは事実らしいので、以下の文章は「その事実」に対する感想となります。

 

 なによりも心配になるのは、世界中の人々がコロナウィルスで困っているときにあえて戦争など開始する「判断力のなさ」です。敵味方の区別がまともにつかないひとが指導者なのは困ります。ロシアとウクライナだけコロナウィルスが存在しないわけではないでしょうに。「人類の敵がコロナウィルス」というのなら話は分かりますが、人類どうしで「同士討ち」では話になりません。

 

 さて、あまりトルストイチャイコフスキーを生んだ国とは思えないなりふりですが、これも唯物論の成果でしょうか。まず、私がしたことは、本棚から岩波文庫版「トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇」中村白葉訳を取り出して再読しました。表題の「イワンのばかとそのふたりの兄弟」です。短い話ですからすぐ読み終わります。皆様のなかにも読んだことのある方は多いでしょう。今回指摘したいことは、各国の指導者のみならず世界中の皆様にもう一度読んでいただきたいな、ということです。「老悪魔や小悪魔」が何のメタファーなのか、セミョーンやタラースがなぜ悪魔に負け、イワンがなぜ負けなかったのか考えてみてください。

 

 このように考えると、「再軍備を急がなくては」とか「核武装しなくては」といった議論はいかがなものでしょう。「イワンの国なんて夢物語だろ」と軽蔑する人に聞きたいのですが、この「夢物語」が実現してほしくない人がいるのでしょうか、考えてみてください。

 

 何度も書いていますが、私の願いは万人のそれと同じく「死後の魂の救済」です。大勢の人々を傷つけるふるまいをしたのでは「救済」されなさそうですし、それに加担しただけでも無理そうです。今回はとくにウクライナの皆様の「救済」を祈念して終わりたいと思います。ご無事をお祈りします。

 

「神さまがおまえについていて下さるように!」

 

BGM:チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番

   ウラディミール・ホロヴィッツ:ピアノ

   アルトゥーロ・トスカニーニ:指揮

   NBC交響楽団

 

 

20220110:「死刑」について

 明けましておめでとうございます。白野狐です。今年こそ良い一年を、と思いますが、コロナが再拡大するようで、どうも幸先が良くありません。新聞テレビなどの報道でも「感染者が増加」というだけで、頑なに「なに株」とはいいません。デルタ株とオミクロン株ではずいぶん対処がちがうと思いますが。私ども庶民としては、一昨年から続けてきたこと、「外出を控えて、うがい手洗いを欠かさない」ぐらいしかできることはありません。とりあえず、この世界に生きる皆様のご健勝をお祈りして、新年のご挨拶とさせていただきます。

 

 さて、今回のお題は「死刑」です。新年早々縁起がよろしくありませんが、思うことができたので一文といたします。と、申しますのも最近、電車のなかで刃物を振り回すとか、火をつけるとかする人がたくさん(このばあい、ひとり以上は「たくさん」と表現するのが適切でしょう)でてきて、警察につかまると「死刑になりたかった」と打ち明けるそうです。どうも「死刑」が「自殺の手段」として認知されつつあるようなのです。

 

 最初にお断りしておきますが、私は「死刑存続派」でも「死刑廃止派」でもありません。実際のところ、「死」がなんなのかわからないので賛成も反対もしようがない。「死」は避けようもないことなので嫌がってもしかたがありませんが、急いですることでもなし、なによりも死ぬときに「痛い」とか「苦しい」とかが何よりもいやです。定義どおり「死ぬほどの痛みや苦しみ」です。これは怖い。怖いですが、ただそれだけです。だれか、「死」とはこれこれこういうことなので、「死刑」に「賛成」あるいは「反対」と私ども庶民にもわかりやすく説明していただけるとありがたいのですが。

 

 ということで、本質的な観点からは「死刑」に「賛成」も「反対」もできないのですが、あとは実用上の観点だけです。たとえば、「行政府に死刑のような権限を与えることの賛否」については、司法制度の公正さに対する信頼によって決まります(そのはず)ですから、信頼するかどうかという「個人の問題」に還元されてしまって議論は深まりません。

 

 今回、指摘したいことは、「死刑を自殺の手段とする」ということは、死刑制度にとっては「思わぬ伏兵」だったのではないでしょうか。これを防止することは簡単でつまり「死刑廃止」です。「死刑になるためのハードルを上げる」では「死刑になりたい人」がますます凶悪になるだけで効果はのぞめないでしょう。

 

 最近は、私ども庶民にとって、生活は苦しくなる一方ですから、「死刑によって自殺したい人」がぞろぞろ現れても不思議ではありません。これをコロナや大地震や富士山噴火と同様の「天災」と受け止めることはできませんから、「対処できる人」に「適切に対処」していただきたいものです。期待できませんが、期待しています。

 

 新年早々、暗い話題ですみません。今年もなんとか乗り切ってゆきましょう。この世界に懸命に生きる皆様に祝福ありますように。

 

BGM:モーツァルトホルン協奏曲第1番

   アラン・シヴィル:ホルン

   ルドルフ・ケンペ:指揮

   ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

20211215:「給付金」がもらえません。

 こんにちは。白野狐です。あたらしい政権になってはやひと月ぐらいでしょうか。めでたくワクチンの2回目の接種も終わってほっと一息、誠にありがたいことです。「日本だけ」コロナの感染者数もかなり減っているとのことですが、ホントはどうなんでしょう。怪しげな「ファクターX」なんて探し求めるよりも、きちんと感染者数を数えなおす対応のほうが、すっと腑に落ちます。また、官公庁のデータ改ざんも明るみに出たことですし。すくなくとも「コロナが落ち着いた」と浮かれて街にくり出すようなマネは避けたいものです。外出を控えて、手洗いうがいを欠かさない従来の生活スタイルの維持をこころがけましょう。

 

 さて、今回のテーマは「給付金」です。「現金」か「クーポン」かとか、家庭の所得制限を設けるとか設けないとか、いろいろもめているようですが、どのみち、我が家はその恩恵にはありつけないようです。残念ですが、致し方ありません。選挙に当選した、すなわち「多くの人」が「これが良い」と思った結果ですから、文句を言ったりすると「協調性がない」なんて怒られ方をしてしまいます。思えば生まれてから何度「協調性がない」と怒られてきたことか。というわけで、今回の一文も部外者の感想と受け取ってください。

 

 「給付金」ですが、大多数の人は「現金」で受け取りたいようです。私も、もらえるならば「クーポン」より「現金」のほうがありがたいですから、選べるならば「現金」を選びます。なぜ、行政府が「クーポン」にしたがるのかというと、「現金」を渡すと貯蓄にまわって消費が喚起されない、との理屈のようです。「あぶく銭らしくぱーっと使え」ということのようです。もちろん、私ども庶民にとって十万円は大金ですから「あぶく銭」といった解釈は致しません。大切に使うことになります。まずは盗難にあわないように銀行に預けることでしょう。「それがいかん」というのが行政府の見解のようですが。

 

 ここからが疑問です。前にもどこかで同じことを書いたと思いますが、「なぜ、貯蓄にまわってはいけない」のでしょうか。本来であれば、このようにして銀行に集められたお金は、銀行が「正しく消費する」、つまり「将来有望な事業に投資する」はずで、その結果得られた利益を預けた人々に金利の形で還元する、となるはずですが、この解釈はどこか間違っているのでしょうか。知っているひとがいたら教えてほしいものです。

 

今年もまもなく終わります。来年こそ、この世界で生きる皆様にとって良い一年となりますように。

 

BGM:ブラームス交響曲第3番

   ハンス・クナッパーツブッシュ:指揮

   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団