shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20231019:説明も苦手です

こんにちは、白野狐です。ウクライナで戦争があって、それも集結しませんが、今度はイスラエルで戦争とか。どちらにも言い分はあるのでしょうが、おだやかに解決してほしいものです。ふつうの人は「平和を希求」していると思うのですが、人の上に立つ人はそうでもないのかしら。

 

人を亡ぼさんと欲するときは、神はまずその人の理性を奪う。

 

トルストイの「戦争と平和」の一節です。ナポレオンがロシアに侵攻する場面で使われました。思い浮かんだ言葉がこれだったのですが、「理性」が戻ることを願うばかりです。

 

話がそれました。今回のお題「説明も苦手です」も私のことですが、「20230622:雑談が苦手です」の続きです。「雑談」と違って「説明」の場合、話題に事欠くということはありません。なにかしらの「事象」が先にあって、それについて解釈を言葉で実施する、というのが「説明」の一般的なパターンである、と認識しております。広辞苑にも「事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかすこと。」と書いてありますから、ほぼほぼ間違いないでしょう。

 

その「説明」が私は苦手です。一社会人として職務を遂行しておりますと、例えば上役にでしたら、業務の位置づけ(なぜその業務をするのか。つまり経緯と目的)、業務の方針(どのように目的を達成するのか)、業務の進捗状況、業務上の問題点と対処方策、そして結果といった一連の流れの各段階において、「説明」してコンセンサスを得る必要があります。この種類の「説明」は非常に簡単です。コツは「うそをつかないこと」これだけです。どこかの段階で「おじゃん」になることはありますが、それも「職務のうち」です。

 

余談ですが、昔務めていた職場で「上司に説明する」といって怒られたことがあります。上司には「報告」だろ、と言われました。そうなんですか。

 

さて、苦手なのは、このような職務とは関係のない「説明」です。「20230622:雑談が苦手です」に書いたとおり、他人と話すときに話題にしてはいけないことはいくつもあるのですが、この価値観が共有されていない相手と話をしなくてはならない場合が日常生活では何度か発生します。このような「雑談の得意な」相手に、「雑談の苦手な」私が話をしなくてはならない場合にする「説明」は地獄です。「なぜ子供を持たないのか」とか「家は買ったほうがよい」とか。「そんなお金はない」と斬り捨てたのでは人間関係が悪化しますから、なんとなくお茶を濁すような後味の悪い返答をして、ほうほうのていで逃げ出すしかありません。

 

つまり「説明が苦手」なのは、「相手を間違えた場合」です。人生では、「ちょうどよい説明相手」というのは、なかなか出会えません。価値観あるいは知能の程度によって「説明してもわかってくれない人」か、逆に頭が良すぎて「説明しなくてもわかる人」が大半です。どちらの相手にも「説明による達成感」は得られません。こちらが「説明」をして、「なるほど」と膝を打ってくれる人があなたの周囲にいたら大切にしてあげましょう。ほんとに貴重な人、さらに言えば「人生の宝」です。私はそう信じています。

 

というわけで、戦争中の各国の指導者に「戦争の無益」をきちんと「説明」して、「平和をもたらす人」は現れないのかしら、「説明の成否」は相手によってほぼ決まる、というのが不幸のもと、と思っています。

 

平和な世界が訪れますように。

 

BGM:ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

   ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン

   アンドレ・クリュイタンス:指揮

   フランス国立放送局管弦楽団