shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20210501:「学校の先生」について

こんにちは、白野狐です。コロナ肺炎ですが、まだまだ先が見えないようです。日々頑張って生活している皆様に祝福ありますように。

 

今回のお題は「学校の先生」です。折しも先ごろ、文部科学省が「#教師のバトン」と銘打って、教師となる人間を増やすために教職の魅力をアピールする、という取り組みを始めたそうで、それについて思うところを一文にしてみます。「学校の先生」と書いておりますが、ここでは「小中学校の先生」を対象としておりますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

最初に私が思ったことは、前にも書きましたが、「子育てはお金持ちの道楽」です。ですから、「お金持ちの子供」を相手にする「学校の先生」も「お金持ち相手のサービス業」で、エルメスのような高級ブランドの販売員とか、レクサスのような高級車のカーディーラーとかと、私の中では同じ位置づけです。もちろん世間にはそのような職業に就く方が一定数必要なことは理解しておりますから、不足することに対して何らかの処置をすることは必要でしょう。しかしながら、文部科学省が音頭をとってキャンペーンというのはどうでしょう。経済産業省国土交通省が「高級ブランド」や「高級車」の販売員を増やすキャンペーンを始めたら(始めてませんけど)と想像するとより分かりやすいかもしれません。それと同じ違和感です。

 

さて、私の想像は先に書いたような典型的な「部外者の思いつき」です。私ども庶民にとっては関係のない世界ですから無理もありません。

 

ところが、現実は私のような凡人の想像をはるかに超えていて、SNSで意見を募ったところ、とんでもない重労働ぶりと待遇の悪さを嘆く声が殺到して「教職の魅力のアピール」どころではないそうです。私も興味本位でTwitterを覗いてみましたがホントにそうでした。「お金持ち相手のサービス業」ってこんなに大変だったのですね。初めて知りました。

 

さて、「学校の先生」は今では「お金持ち相手のサービス業」ですが、本来は憲法で定める「義務教育」の担い手であります。ですから、私にも「学校の先生」と接する機会がありました。今思い返すと、たしかに皆、機嫌が悪そうで、私のような小心の生徒は怯えながら学校で過ごしていたことを思い出します。「当時の学校」は教師や同級生による身体的・精神的な暴力が蔓延していましたから、先生生徒を問わず皆不機嫌そうで、このような場所では、ただひたすら卒業を待つほかありません。

 

このような「学校」にもいいところはあって、すなわち「一度卒業してしまえばあとは永久にコミットしないで済む」というところです。そのためには「学校の先生にはならない」ことと「子供を持たない」ことが必要ですが、これらの条件は比較的達成が容易ですから、あまり心配はいりません。先に書いたような「部外者の思い付き」をのんびり書いていられるのもそのおかげです。

 

そうなると不思議なのは「学校の先生になった人」です。どのような人がなるのでしょうか。学校の先生は「免許が必要なプロフェッショナル」ですから、「頭が悪い人」のはずはありません。「重労働や待遇の悪さ」を嘆く声が殺到していますが、義務教育を受けているときに気がつかなかったのでしょうか、あの先生の「機嫌の悪さ」を見れば気がつきそうなものですが。先に「初めて知りました」なんて呑気に書いてますが、じつは大体想像できてました。ウソ書いてすみません。ですから、「学校の先生」にはなっていません。「能力がないだけだろ」と言われれば反論できませんが、私にとって「選べるときには選ばれない」職業であることも確かです。

 

まだまだ、残念ながらコロナ禍は続くようです。「学校にいたころ」のように怯えながら暮らす日々がまた現れるとは思っていませんでした。皆様も同様と思いますが、乗りきって行きましょう。祝福ありますように。

 

BGM:ブラームス交響曲第3番

   ヘルマン・アーベントロート:指揮

   ライプツィヒ放送交響楽団