shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20240409:「自己責任」について思うこと

こんにちは、白野狐です。今年は元旦から大地震とか、ずいぶん不調な一年の始まりでしたが、一身上も、腸閉塞とか痛風とかあまり同情もされない病気になったりと幸先のよい一年のはじまりではありませんでした。ですので、このブログもずいぶん間が空いてしまいましたが、気をとりなおして再開をいたします。

 

さて、今回のお題は「自己責任」についてです。私ども庶民の暮らし向きがよくならないの原因が「これ」という意見があって、「お金をかせげる職業につかなかったのは努力が足りなかったから自分の責任」といった使われ方をするようです。こういうことを言うひとは「だから文句言うな」とつづけたいのでしょうが、それに対する「もやもや」が今回の一文です。

 

まず、すこしだけ身バレしますと、私は「努力」というものをまったく信用していません。というといいすぎで、「努力すればなんでもできるという考え方」を信用していません。これが真実であれば、リーマン予想もすでに解決していることでしょう。すこしでも数学に携わったひとならだれでもわかりますが、数学はまさに「才能とセンスの世界」で、これらを持たない私のような凡人が「努力」で追いつくことはまず無理です。

 

「数学」はそうですが「お金を稼ぐこと」はちがう、と反論されそうです。そうかもしれません。正直反論できないです。さきにいいました「もやもや」のひとつです。

 

というわけで、「もやもや」しながら「自己責任」を受け入れているからかどうか、私ども庶民の暮らし向きはよくなりませんが、「自分のことは自分でどうにかしろ」というのがこの説の「是」ですから、それを前提に人生を組み立てなくてはなりません。

 

そもそも「このような世界で生きていたいと思う人」がどれだけいるのかよくわかりませんが、「貧しい人」は多いですけれども、「貧しいのは自己責任」と言われる世界で生きていたい「貧しい人」がそれほど多いとは思えません。私も含めて「貧しい人」はお金も時間も能力も人脈も(ここではこれらまとめて「リソース」といいます)足りていないか、すくなくとも余っていないのが実情ですから、人生に余計なものは持ち込めません。「必要最低限の暮らし」を維持してトラブルにも適切に対処しないと詰んでしまいます。

 

「トラブル」に対する最善の対処法は常に「予防」です。自身の生物としての生存に必要な消費だけして、他人様の恨みを買わないようにして生きてゆけば、とりあえず平穏な人生がおくれることでしょう。死ぬことは「貧しいのは自己責任」と言われる世界からの離脱ですから、痛いとか苦しいとかなければそれほど嫌でないかもしれません。

 

これより悪い出だしがあるのか、と思うような一年ですが、どうなりますやら。

皆様の平穏な人生を願っております。祝福ありますように。

 

BGM:リスト ピアノ協奏曲第1番

      リヒテル:ピアノ

      コンドラシン:指揮

      ロンドン交響楽団