shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20230709:「鉄砲」のない社会を希望します。

こんにちは。白野狐です。いささか旧聞には属しますが、タイタニック号を見物にいく潜水艇が遭難したとのことで、合掌。とはいえ、大惨事のあった現場を観光として見に行く、というのはあまり品のよい趣味とは思えません。潜水艇の設計がまずかった、ことにはなっていますが、本当のところはどうでしょう。「先の犠牲者のお招きにあずかった」と考えるのは私だけでしょうか。

 

話がそれました。今回のお題は、「「鉄砲」のない社会を希望します」という、まともな人ならそれほど違和感のない話題です。今回これをとりあげたのは、「憲法変更(「改正」とはいえないでしょう)」とか、「防衛費の増額」とか、「マイナンバーカードの普及の無理強い」とか、あまり「平和を希求する」方向には政策が進んでいるようにはみえないので、一庶民として、「先行き心配」ということです。

 

庶民には必要ありませんが、国家としては、国防は必要なようです。税金は高いし、暮らし向きはよくならない、しかもそれがすべて「自己責任」と突き放すような国家を「防衛する」意義は、庶民にはよくわかりませんが、「国家とはかくあるべし」と考えている人が「国防が必要」と考えているのでしょう。

 

さて、このような文脈で心配しているのが「徴兵制になること」です。私ども庶民に鉄砲を渡されても本当に困ります。個人としては、とりあえず押し入れにしまって、弾薬は鍵のかかる場所に保管する。でよいのですが、困るのは「みんなが鉄砲を持っている」ことです。

 

まともな人間なら鉄砲を渡されたところで、他の人間を撃てるわけはありません。そんなことをすれば、撃たれたほうは悪くすれば死んでしまうからです。これでは撃ったほうも撃たれたほうも極楽に行けそうにありませんから、そんなことはできないのです。

 

ところが、世間には「恨みのある人間になら鉄砲を撃てる」人が存在するようなのです。政治家の人を撃ったり、病院や民家に立てこもったり、恨みのある上官を訓練中に撃ち殺したり、とこれらはかなり最近の例ですが、とにかく「そういう人」がいる。

 

怖いのは、「そういう人」を事前に検出することはできなさそうなことです。私ども庶民ができる対策は、「人様の恨みを買わないようにする」ことだけですが、これはすでに日常生活のなかで実践中です。まともな人なら。

 

「人様の恨みを買わないようにする」というのは、実は結構な難行で、とくに最近は「公園の子どもがうるさい」とか「たんぼのカエルがうるさい」とか「サービスエリアで運転手がカレーを食べていた」とか、普通の人が思いもよらないことで「恨み」を買ったりします。

 

また、前回のブログでとりあげた「他人を傷つけることに抵抗のない人」が私の限られた人生経験では、結構な割合で存在していて、こういう人にも鉄砲が配られると思うと、怖いです。ほんと。

 

というわけで、「「鉄砲」のない社会を希望します」です。ありがたいことに現状、ほぼ、実現していますから、これが続きますように願っております。争いのない世界が訪れますように。

 

BGM: ブルックナーミサ曲第2番

   ヘレヴェッへ:指揮

   コレギウム・ヴォカーレ・ヘント

   シャンゼリゼ管弦楽団