20220228:戦争がはじまったようです
こんにちは、白野狐です。ロシアがウクライナに攻め込んだそうで、私ども庶民としましても戦火に巻き込まれたら、と思うと他人事とは思えません。ウクライナの皆様の胸中お察しします。このブログでは「てんかのいくさ」と「ひとのよしあし」については触れないことをポリシーとしておりますが、今回ばかりはお見逃しを。
最初に私の態度を明確にしておきますと、庶民のみなさまのほとんどと同じく(と信じております)「戦争反対」であります。子供のころから学校などで「強い者」の暴力に痛めつけられた身としては、あらゆる暴力に反対ですし、それを肯定する方向に世の中進んでいるもの、と思っていました。人生の希望の一端をそこに置いていたことは間違いありません。
どちらの国にも言い分はあるでしょうし、日本の庶民にまともな情報が来ているのかの判断も私にはつきませんが、「ロシアがウクライナに攻め込んだ」というのは事実らしいので、以下の文章は「その事実」に対する感想となります。
なによりも心配になるのは、世界中の人々がコロナウィルスで困っているときにあえて戦争など開始する「判断力のなさ」です。敵味方の区別がまともにつかないひとが指導者なのは困ります。ロシアとウクライナだけコロナウィルスが存在しないわけではないでしょうに。「人類の敵がコロナウィルス」というのなら話は分かりますが、人類どうしで「同士討ち」では話になりません。
さて、あまりトルストイやチャイコフスキーを生んだ国とは思えないなりふりですが、これも唯物論の成果でしょうか。まず、私がしたことは、本棚から岩波文庫版「トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇」中村白葉訳を取り出して再読しました。表題の「イワンのばかとそのふたりの兄弟」です。短い話ですからすぐ読み終わります。皆様のなかにも読んだことのある方は多いでしょう。今回指摘したいことは、各国の指導者のみならず世界中の皆様にもう一度読んでいただきたいな、ということです。「老悪魔や小悪魔」が何のメタファーなのか、セミョーンやタラースがなぜ悪魔に負け、イワンがなぜ負けなかったのか考えてみてください。
このように考えると、「再軍備を急がなくては」とか「核武装しなくては」といった議論はいかがなものでしょう。「イワンの国なんて夢物語だろ」と軽蔑する人に聞きたいのですが、この「夢物語」が実現してほしくない人がいるのでしょうか、考えてみてください。
何度も書いていますが、私の願いは万人のそれと同じく「死後の魂の救済」です。大勢の人々を傷つけるふるまいをしたのでは「救済」されなさそうですし、それに加担しただけでも無理そうです。今回はとくにウクライナの皆様の「救済」を祈念して終わりたいと思います。ご無事をお祈りします。
「神さまがおまえについていて下さるように!」
BGM:チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番
ウラディミール・ホロヴィッツ:ピアノ