shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20230226:「異次元の」少子化対策??

こんにちは。白野狐です。外出すると梅の花がちらほら咲いているのを見かけたりして、戦争やコロナな重税など人々のあまり楽しくない営みとは無関係に、季節は来てまた去っていくことを見届けると感慨深いものがあります。この世界で人の作る枠組みはほんの一部なのだなあ、と。皆様はいかがでしょうか。いつも書いていますが、この世界に住む皆様に祝福ありますように。

 

今回のお題は、行政府が掲げる「異次元の少子化対策」です。「異次元の」がミソです。もちろん私ども庶民は、すでに「異次元の金融緩和」なんてやられて、日本円も日本経済も先行きもあやふやですから、このような前例があるのに、また繰り返すセンスに驚くのみです。行政府には、「異次元」ではなく「普通にまともな政策運営」をしていただいて「普通にまともな生活」が営めるようにしていただきたいな、というのが正直な感想ですが、どうもこのような行政府を選ぶ有権者の方々の思いはちがうようです。私の感覚がまちがっているのかしら。

 

さて、「異次元の少子化対策」となっておりますが、最近では「子育て支援の所得制限の撤廃の是非」が主な議題のようです。何度も書いていますが、「子育ては金持ちの道楽」の感覚の私ども庶民からすると、「子どもを持てるようなお金持ちの税金や社会保険料の分捕り合戦」にしか見えません。「道楽」に金銭的な支援を行うのは、ばくち打ちに元手を与え、酒飲みに酒手を渡すのとあまり変わりありません。「あのー、その原資には私の払ったお金も入っているんですけど…」といいたいのはやまやまですが、言ったところで効き目があるとも思えません。

 

最初はこのように考えました。どうみても「庶民のひがみ」で正否はともかく、さわやかでないことは確かです。認めます。でも、少し考えて考えを改めました。このような場合を想像するとわかりやすいでしょう。子どもが生まれた場合です。

 

私ども庶民のように、通常の社会生活を細々と営んでいる人々に、幸運によってか、政策によってかとにかく多少の金銭的余裕が生まれたとき、「それでは、子どもを産みましょう」となるでしょうか。

 

ある人が「子どもを持とう」と考えるかどうかは、次のようなことで決まると考えられます。

 

・生活の現状を正確に把握できる認知能力の有無

・将来の世界の見立てをある程度の筋道を立てて推測できる判断力の有無

・その見立てた世界に「自分の子ども」が生きると想像したときの共感能力の有無

・「自分の子ども」に対する愛情の有無

 

ほかにもあるかもしれませんが、概ねこんな感じでしょう。これらはすべて「個人の属性」ですから他人がとやかくいうことではありません。ただ、「子育ては金持ちの道楽」という「道楽」は「親にとっての道楽」であって、生まれた子どもは、生まれた以上「自分の人生」を生きなくてはなりませんから、真剣さの度合いがまったくちがうということは、「親になろうとする人」は是非ともご一考ください。部外者の発言ですが、心のどこかに留め置かれますと幸いです。

 

この世界は戦争や疫病や税金など「楽しくないこと」であふれています。皆で力をあわせて、「少しでもましな世界」に生きていければと思います。皆様のご健勝をお祈りします。

 

(追記)

「20190303:人口が減少すると」の中で、

 

あるひとが、子供を持とうと考えるかどうかは、そのひとの子供のころの境遇と、それをどれほど正確に記憶しているかによって決まりますから、100パーセント、プライベートな問題で、他人がとやかくいう話ではありません。

 

と書いていました。このときはそう思ったのですが、違ってましたね。これも判断の一部ですが、今回のお話では「共感能力」の一部となるでしょうか。お詫びして訂正いたします。

 

BGM:ハイドン弦楽四重奏曲第63番「ひばり」

  スメタナ四重奏団