shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20220815:「国葬」について

こんにちは、白野狐です。コロナはおさまらないどころか、過去最大どころか世界で一番感染者が多くなるとか、ロシアとウクライナの戦争は終わらないとか、生活は楽にならないとか、あまりいいことはありません。くじけそうになります。それでも生きていきましょう、皆様に祝福がありますように。

 

今回のお題は「国葬」です。昔の首相が銃撃で亡くなったということで「国葬」です。「国葬」が何なのかわからないので個人的には賛成も反対もしようがないのですが、世間では「反対」が多数で政府が「強行」しようとしている、というのが私の理解です。至って表面的ですが、日々生活に追われる庶民としては致し方のないところではあります。

 

このような表面的な理解の仕方の私ですが、一点だけ興味のあるところがあります。これです。

 

国葬」されれば、亡くなった方の魂は救済されるのか。

 

私の知る限り、この論点で「賛成」あるいは「反対」しているひとを見たことがありません。「亡くなった方の功績」とか「国葬にかかる経費」とかそのような論点です。もちろん「「国葬」されれば、魂は救済されるのか。」なんて答えは「亡くなった方」しか知りようがない、どころか死んだらどうなるのかわからないので、それすら怪しいのですが、誰もこの論点から疑問を呈さないので、この場をお借りして表明いたします。

 

当然、首相まで務めた方ですからお金持ちでしょう、立派な戒名をつけてもらって極楽へ行かれたと想像はできます。証明はできませんが。

 

まさか、「国葬」にして税金で立派な戒名をもらって極楽へ行かれたとなったら、私ども庶民は「もやっ」とした気分にはなります、裏口入学で入ってきたと知った同級生を見る気分です。大学とちがって極楽には多分定員はありませんから(あったら大変ですが確認はできません)、自分に害はないとわかっていても「もやっ」とします。世間の人が「反対」しているのは、「魂の救済」が「お金で買える」というふうに見える、ということが多分イヤなんだと思います。この「観点」なら私も「国葬」には賛成できません。

 

この「銃撃事件」を知ったときには、「お年寄りをひとり殺めたところで何の意味があるのかしらん」というのが最初の感想でした。ところがこのあとの経緯は内閣がまた組閣に追い込まれる事態となるほどの影響がありました。また、同じような事件がおきたときにも「国葬」を強行するのかしら、私ども庶民には関係がありませんが、くれぐれも人様の恨みは買わないように気をつけましょう。皆で仲良く手をとりあって生きてゆきたいものです。そのほうが「魂の救済」への近道と信じたい。それが私の願いです。いままで何度も書いていますが。

 

BGM:リスト 愛の夢第3番

      アルトゥール・ルービンシュタイン:ピアノ