shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20221128:じゃんけんのワールドカップを?

こんにちは、白野狐です。今年もあとひと月で終わってしましますが、あまり良い一年とは、残念ながらいえませんでした。皆様はいかがでしたでしょうか。この世界に住む人々に祝福ありますように。

 

今回のお題は「ワールドカップ」です。世間ではサッカーのワールドカップが行われていて、日本のチームがドイツのチームに勝って大喜びとかコスタリカのチームに負けてがっかりとかいろいろ騒がしいようです。

 

日本のチームが試合に勝って大喜び、というところで文句を言ったひとがいて、発言を撤回に追い込まれたなどというニュースもありました。これは文句のいうひとのほうが正しくないでしょう、最初に書いたように「今年はよい一年ではありません」でした。コロナは収まらない、戦争は終わらない、物価は上がり続けるといった具合です。こんなふうに良い話がひとつもないのですから、皆様にとってちょっとでも良いニュースがあればすなおによろこぶのを邪魔することはよくありません。おとなしく自分の心の中にとどめておきましょう。

 

さて、ここからが本題です。「国際試合の勝利」がこれほど皆様に希望を与えるのあれば、その機会を増やす提案は「単なる思いつき」でもそれなりに価値があるでしょう、ということで、「単なる思いつき」をこれから書きます。それが表題の「じゃんけんのワールドカップ」です。

 

残念ながら、少子高齢化と貧困化のますます進む日本では、将来も「サッカーの試合」で勝ち続けることは不可能と考えるのが普通です。貴重な若い有能な人材に「サッカー」だけ専念させる余裕もなくなるでしょう。さりとて「お年寄りで構成されたサッカーチーム」では勝ち目はない、と考えるのが普通です。もちろん相手がある話ですので、相手のチームが日本のチームよりも平均年齢が高い、ということであれば話は別でしょうが、それを前提にして議論はできないでしょう。

 

そこで、なにかほかのことで「ワールドカップ」を開催しては、というのが今回の提案というか思いつきです。日本人が将来にわたって安定的に「国際試合での勝利体験」を味わうためにはどのような競技にすればよいでしょうか。いくつか条件が考えられます。

 

  1. 「強さ」と「年齢」の間に関係がない。高齢化の進む日本では「お年寄り」の参加が必要です。「参加できる」だけでなく「ある程度の確率で勝てる」ことが条件となるでしょう。
  2. 「技量・スキル」を磨く必要がない、あるい磨くことが不可能である。さきに「お年寄りでもある程度の確率で勝てること」を条件としましたが、さりとて「お年寄りになるほど経験とか練習量で有利」ではフェアな勝負とみなされないおそれがあります。これでは勝ってもうれしくないでしょう。「勝ちさえすればいい」という人は多数派ではないと信じております。これを「競技」というのかどうかという「ささいな問題」は残りますが。
  3. 「お金」がかからない。これはこれからますます貧しくなる日本では自明のことでしょう。先のオリンピックのときのように、選手の勝手な言い分にまかせて「新しい競技場を建てろ」なんてことをしていたのでは国がもちません。「競技を楽しむ」どころではないでしょう。

 

このように考えますと、私に思いつく「競技」は、「じゃんけん」、「新井式回転抽選機」、「坊主めくり」ぐらいしかありませんでした。ほかにあればそれでも結構です。

 

いかがでしょうか。実際のところ「オリンピック」やその他の国際試合を廃止してこれらに替えるデメリットは私には思いつきません。「お金」がかかりませんから、先のオリンピックのように逮捕されたりするひともいなくなるでしょう。「勝ったらすなおによろこび、負けたらすなおにがっかり」という健全な反応を将来にわたって確保するために有益と考えております。

 

まだ少し早いですが、来年こそ良い年にしたいものです。繰り返しになりますが、この世界に住む人々に祝福ありますように。

 

BGM:メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

   諏訪内晶子:ヴァイオリン

   アシュケナージ:指揮

   チェコ・フィルハーモニー管弦楽団