shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20210215:「少子化問題」??

こんにちは。白野狐です。先週はオリンピック・パラリンピック組織委員会会長のことがいろいろ取り沙汰されていました。「女性蔑視」と認定された人間がその疑念を払拭するために一番有効、というか唯一の方法は性転換手術によって「女性となる」ことでしょう。もちろん、他人が強制することはできません。このことは自発的に実行しないと意義はありません。知ってる限りだれも指摘しないのでひとこと。

 

コロナ肺炎につきましては、ワクチン接種の目途もついたそうで何より。あとは全員に接種するだけです。注射はキライですが、そうもいってられませんでしょう。なぜ経口薬タイプがあらわれないのかは、専門家でもない私にはわかりません。点眼薬タイプや座薬タイプでも注射よりはましなのですが。

 

話がそれました。今回のお題は「少子化問題」です。「問題」といっても行政府その他限られた人々が「問題」といっているだけで、私ども庶民には実感はありません。食い扶持といい、教育にかかる費用といい、子育てにかかる手間ひまといい、子育ては「お金持ちの道楽」です。このことについてはSNSやほかの人のブログなどでさんざ確認することができますので、詳しくはそちらに譲ることとして、このことを前提に思ったことを一文にする試みです。

 

実際のところ、私ども庶民は、日本国憲法に定める「勤労の義務」と「納税の義務」によって、「お金持ちの道楽」に用いられる「時間」と「お金」がどちらも足りていませんから、「子供」は持てません。ですから、「少子化問題」と言われても実感はわきませんし、ましてや「少子化問題の元凶」のような扱いを受けるのははなはだ心外です。

 

少子化問題」の何が問題なのかというと、新聞とか厚生労働省のホームページで調べてみると「将来の社会保障の負担が増える」とか「将来の労働力が減る」とか、「将来のこと」とくに「お金のこと」が多いですから、「将来の生活者」つまり「子供」がいなければ、各個人にとっては「問題」とはなりません。「子供を持たずにお金を使わず勤倹貯蓄に励むこと」によって、個人としては「主観的に、問題とならない問題」とすることができます。私ども庶民にできることはこのことだけです。

 

実際には、「この問題を解決しなくてはならない」と考えている人は、ほとんどいないように見えます。さきに書いたように「問題とならない問題」とほとんどの庶民の皆様が捉えていて、それよりも「普段通りの生活」を維持することのほうが決定的に重要ですから、他人様の道楽には、「邪魔はしないが、見習いもしない」という「当たり前」の態度をとるのが「当たり前」ということです。

 

少子化問題」は典型的な「問題意識の共有に失敗した問題」の例としてあげられるでしょう。人生のなかでは様々な「問題」に直面しますが、問題の(解決の必要性を含めて)対処の方策を考える際の参考となれば幸いです。

 

まだまだ、コロナ禍は続くようです、皆様のご健勝をお祈りいたします。

 

BGM:ブルックナー交響曲第9番

   カール・シューリヒト指揮

   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団