shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20210122:ちょっとした妄想の続き

こんにちは。白野狐です。コロナ肺炎が「猖獗を極める」なか、皆様力を合わせて生きてゆきましょう。このような皆様に祝福ありますように。

 

以前、「20200319:ちょっとした妄想」なんて文章を書いております。中身は大したことなくて、コロナ肺炎がはやっていてオリンピックの開催が危ういので日本人だけでやったら、という思いつきを書いただけですが、実現しそうにないです。この状況下ではそれもおぼつかないでしょう、ということで次の思いつき、というか妄想です。よくもこうくだらないことを次から次へと、というつっこみは覚悟のうえで、「ではどうすればオリンピックを開催できるか」という思いつきを書いてみます。私にとってオリンピックはこのような「思いつきの対象」でしかありませんが、「開催できれば万々歳」な人々にとっては参考になったりして。まさか。やめてくれぇ。

 

以下はホントにくだらないですから本気にしないでくださいな。

 

実際のところ、最大の障壁は「コロナ肺炎」です。この点に異論はないという前提での話です。うっかり(でなくても)普通に開催したのでは選手や観客や事務方やボランティアの方々の間に「コロナ肺炎」が蔓延して、これでは当然よくありません。そうでなくとも、「いつ感染するか」おびえながらでは競技に身が入らないことでしょう。

 

ここからが妄想です。この世界には「いつ感染するか」怯えないですむ方々が相当数おられます。すなわち「すでに感染している人」です(良いことではありませんが)。であれば、「コロナ陽性」であることを選手、観客、事務方およびボランティアの参加要件にしてはどうでしょう。というのが今回の思いつきです。くだらないでしょ。

 

もちろん、こんな「オリンピック」を街中でやられたのでは、私ども一般市民は大迷惑です。どこか離れた場所を「東京都」に求めるとすれば、最近できた東京都小笠原村「西ノ島」でするのはいかがでしょう。きれいな空気ときれいな海に恵まれていて、最近できたので生態系もまだ固定していないでしょう、街中の汚れた空気のなかで走ったり、東京湾の汚れた水のなかで泳ぐより数段快適かと。

 

でも、「コロナ陽性者」がフルマラソン完走したり、何かの競技で世界新記録を打ち立てたりしたら、それこそ文字通りの意味での「人類がコロナに打ち勝った証」だとは思いませんか。私個人は選手の方々に生命の危険を冒してこんなことをしてほしくはありません。「人類がコロナに打ち勝った証」という言葉がキライなので正しい使い方はこれしかないだろ、のイヤミのつもりです。この言葉ほんとやめてほしいです。

 

今回は「どうでもいいことにはくだらない提案」の一例です。人生のなかで「くだらない提案」しかでない問題は、「その問題の重要性」から検討したほうがよい場合があります。昨今のオリンピックの開催云々をみてこのことを思ったので今回一文としました。皆様の人生のご参考となれば幸いです。

 

繰り返しになりますが、コロナ禍のもとで生きてゆく皆様に祝福ありますように。

 

BGM:レハール メリー・ウィドウ

   カラヤン:指揮

   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団