shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20210830:コロナ禍について雑感

こんにちは、白野狐です。とりあえずオリンピックは終了しました。まずは何より。ところが、コロナ肺炎の流行は全然納まりません、どころかもう収拾がつかないのでは。というような状況です。自分がまだ罹っていないのが奇跡のようです。神に感謝。

 

さて、現在のところ有効そうな対応策はワクチンしかなさそうですが、私としてはまだ接種しておりません。予約もとっていない状況です。前にも書きましたが、他人を押しのけてまで急ぐことではありませんし、これほどコロナ肺炎が猖獗を極めるなかでこそ、「ゆずりあいの気持ち」を忘れたくないものであります。ほかに接種を急ぐ事情の方がおられましたら、喜んで先を譲りたいと思います。とはいえ、内心ビビりまくりですが、いまどきはあまりない「勇気」の出しどころではないかな、とも思います。こんな「勇気」でもよければ。

 

このように、ウイルスに対してノーガードなものですから、生活態度によって防衛するほかありません。外出をなるべく控えて食事、睡眠および休養を十分とる、手洗い、うがいを欠かさない、といったことですが、これらはここ一年以上続けていることですから「変わらないといえば変わらない」ことであります。何度も同じことを書いておりますが、これは事態が進展しない証左ですから致し方ありません。

 

このように注意をしていても「罹るときには罹る」ものとは承知しております。「罹って死ぬ」のは個人としては避けたいところですが、寿命であればいたしかたないのかな、と諦めがつけば「それもあり」です。

 

「いずれ死ぬこと」は避けようがありませんから、嫌がっても仕方がありません。問題は「どんな死に方」をして「死んだらどうなるのか」です。特に後者「死んだらどうなるのか」は、個人的には最大の関心ごとで、というか「死後の魂の救済」は万人の願いでしょうから誰でも最大の関心ごとであるというふうに考えております。

 

さて、今回のお題は落語の「死神」を聞いたところからの思いつきです。この噺の教訓は「人の寿命をいじくりまわしてはならない」ということだと思います。「治るひと」は「あじゃらかもくれんきゅうらいす。てけれっつのぱー」と唱えて手拍子二回でも治りますが、「治らない人」はどうしようもありません。詳しくはこの噺を聞いていただくこととして、「寿命を受け入れること」も大切なことと思います。あとは「魂の救済」があることお祈りいたします。

 

ほんとにこのコロナ禍、どうなることやら。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。あとは魂の救済も。

 

BGM:モーツァルト レクイエム

  ミシェル・コルボ:指揮

  ジュネーヴ室内管弦楽団

  ローザンヌ声楽アンサンブル