shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20210601:ワクチンの接種について

こんにちは、白野狐です。コロナ肺炎ですが、ようやくワクチンの接種が始まったとのことで、素直に吉報ととってよいでしょう。外国の製薬会社は大したものです。1年もたたずに「有効なワクチン」が開発できるのですから。

 

個人的には、私のワクチン接種の順番はかなり後のようで、スマートフォンで確認したら「7月下旬から」なんて表示されました。前にも書いたと思いますが、他人を押しのけて急ぐことではありませんし、個人的には日本どころか人類最後の接種でもかまいません。ほかに急いで接種したい事情の方もおられるでしょうし、そのような方々へ「どうぞお先に」。

 

世間では、ワクチン接種の順番は「医療従事者、それから高齢者及び基礎疾患を有する者」が最初のようで、「オリンピックの選手」が別枠で受けられる、とのことです。先に書いたように個人的にはなんとも思いませんが、これを聞いて思い出したことがあるので、それを一文にしてみようと思います。

 

唐突ですが、「タイタニック号」です。あの船が沈没するときに、救命ボートに乗る順番は「女性、それから子供」だったそうです。実際にそれが守られたかどうか知りませんが、女性の生存率は男性のそれに比べて圧倒的に高かったそうですから信じてよいでしょう。そのほかに「ボートの漕ぎ手」として「屈強な男性」を優先的に乗せたそうですが、「ワクチン接種」でいう「医療従事者」に相当する考え方と思います。

 

もちろん、「乗員数の半数分しか用意されていない救命ボート」と「全員分いきわたることになっているワクチン」を同列に論ずることはできませんし、「乗らなければほぼ確実に死ぬ救命ボート」と「接種しなくても死ぬとは限らないワクチン」という点でも同列に論じることはできないでしょう。そのほかにも、「この場だけを切り抜ければよい救命ボート」と「今後も長らくお付き合いすることになるであろうウイルスに対処しなくてはならないワクチン」とか、状況が違いすぎて、「タイタニック号」のことがなぜ思い出されたのかが不思議ですが、私はなぜかこれを思い出しました。

 

もし、同列に論じることができるならば、大変によろしくない状況です。「他の人に先んじてワクチンを接種する人」は、「我さきに救命ボートに乗り込む人」と同義ですから、それが何らかの特権を有するひとであれば、セウォル号やメデューズ号の船長・艦長のように逮捕されてもおかしくありません。タイタニック号のスミス船長はこの事故で亡くなられたそうです(異説ありですが)。彼のご冥福を。

 

それでも、「生き死にがかかったシチュエーション下における人のふるまい」を観察する良い機会をもらったとは考えたから思い出したのでしょう。「どんな人」が「どのような状況下」で「どのようなふるまいをするか」を観察することは、その人の人格を見るうえで非常に有用です。「言葉の重み」がともすれば軽んぜられがちな昨今ですから、私はここに気をつけてニュースを見たり、他人にかかわるようにしています。

 

話はそれますが、このような観点から、テレビを映す人にお願いなのですが、もし、オリンピックが実行されたら、選手よりも観客のほうを多く映してもらえないでしょうか。「どんな人」が選手として参加するのかも興味はありますが、それ以上に廉価でないチケットを入手してわざわざ見に来る人は「どんな人」なのか、(半ば強制的に?)観覧させられる小中学生が「どんな顔」をしているのか、競技よりも私はそのほうに興味があります。あまり良い趣味とは思えませんが、それらを観察するほうが「誰がメダルをもらった」なんて出来事よりは、「モノをまともに考える」習慣を涵養する役には立つでしょう。

 

ワクチン接種で万々歳となることを祈りつつ、今回はここまで。

この世界を懸命に生きる皆様に祝福を。

 

BGM:ブルックナー交響曲第9番

   ヘルマン・アーベントロート:指揮

   ライプツィヒ放送交響楽団