shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20201013:「自殺」について思うこと

こんにちは、白野狐です。新しい政権を見ていましたら、「ゼークトの組織論」を思い出しました。「勤勉」か「怠惰」かで分ければ間違いなく「勤勉」でしょう。「有能」か「無能」かはいずれわかることと思います。

 

今回のお題は「自殺」です。最近はコロナ肺炎騒動のためか、非常に件数が増えているそうです。もちろん「だれそれが亡くなった」ということを聞けば当然に悲しいですし、もう二度と会えないということですから別れを惜しむ気持ちは抑えがたいものがあります。ことに「自殺」によって亡くなられたということは、亡くなられた方の「意思」によって「お別れ」となったということですから、残された方々の悲しみは察するに余りあります。

 

「自殺がよくないこと」というのは、この「残された方々に悲しみを与える」ということが理由の第一でしょう。「身近な人の死」はなんでも悲しいものですが、「自殺」や「殺人」は、それが人為的に作り出されるものであるがゆえに許容してはならない、というのが、普通の解釈と思いますし、私もその意見には全面的に同意いたします。

 

かなり前に同じことを記しましたが、「人が死んだらどうなるのか」は現在わかりませんから「死後の世界」はとりあえず「ある」と考えるのがまともな考え方と思います。正確に言いますと「ない」場合を考える必要はない、ということです。本当になければ死んだら「(存在が)なくなるので後悔することもない」ということです。したがって、「(死後の世界が)あった場合に魂が救済されるためにどうすべきか」考えなくてはなりません。せっかく「極楽」があるのに行けなかった、という事態はできれば避けたい。「生きている時間」と「それ以外の時間」では長さに差がありすぎます。とはいえ、どうすればよいのかはわかりませんが。

 

話は少しそれますが、「死後の世界はない」という考え方は結構あぶないのでは、と私は考えております。「死後の世界」がなければ、現世がすべてですから「生きている間にやりたい放題」となりかねません。というか、すでになっているのが今の世の中では、と危惧しております。この点で「唯物論」はよろしくないのでは、と思っております。「まともでないほうの判断にオッズを全振りしている」ように見えるのです。

 

話を元に戻しますと、「自殺」です。自殺する人は「死んだほうがまし」と考えて実行するのでしょう、それが正しいかどうかは「死んだらどうなるのか」わからないので誰にも評価できませんが、「死後の世界はない」という考え方がここにも入り込んでいるとすれば危険です。この考えを改めることによって、あるいは自殺を考える方が少しでも思いとどまっていただければ、と思い今回一文としました。

 

何度も書いているように、私の願いは万人のそれと同じく「死後の魂の救済」です。どうすればよいのかわかりませんが、「救済されるに値する魂」となりたいものです。皆様ともども救われることを祈願しております。

 

BGM:バッハ管弦楽組曲第2番

   リヒター指揮

   ミュンヘン・バッハ管弦楽団