こんばんは、白野狐です。新年を迎えました。良い一年となりますように。
去年のお話ですが、昨年は日本人の出生数が過去最低だったそうです。初めて90万人を下回ったと、厚労省の発表でした。今回のお題は、この発表に関する考察、というほど大したものではありませんが、思うところをおひとつ。
厚労省というか政府の発表です。通常であれば、こんな発表に興味はありません。「ふーん、そうですか」で終わりです。しかしながら、残念なことに政府の発表というものは、あまり信用されていないようです。統計をごまかしたとか、文書を隠蔽・改竄したとか、芳しくないお話は多々ありましたし、経済指標はどうも庶民の実感どおりでない。このような状況下での発表ですので、「なぜ、発表したのか」興味が湧いたということです。
驚いたことに、この発表の真偽は疑われていないようです。事実と受け止められているらしい、政府以外に誰も確認できないというのに、その他の発表は信用されていないというのに。当然、私ども庶民はその真偽を知ることはできませんから、「ありうる場合」を列挙して、推測を加えてみるほかありません。次のような場合が考えられます。
① 事実である。年間の出生数が初めて90万人を下回った。
② 事実でない。実際には昨年以前と同程度、あるいは上回った。
③ 事実でない。実際にはもっと減少していた。
この場合、主張が簡単なので三通りで済みました。しかし、真偽が疑われていなければこんなことを考えるインセンティブも発生しませんから、これは無駄な努力となります。それはさておき。
もし、①の場合であれば、なぜ発表したのでしょうか。推測の出番です。政府が数字を発表する場合がどのような場合かといえば、まず「政策の成果をアピールする場合」です。「出生数の減少」が「成果」であるかどうかについて国民の間にどのようなコンセンサスができあがっているのか私は知りませんが、この場合に推測されるコンセンサスは「成果である」ですから、発表したひとの認識がそれだったのでしょう。
②の場合はどうでしょう。やはり推測に頼るしかありません。事実と異なる発表をして、同じく「成果である」ことを主張するためには、①の場合と同じコンセンサスができあがっていなくてはならないでしょう。
③の場合です。すみません。この場合は意図が謎すぎてわかりません。「出生数の減少」が「成果でない」というコンセンサスがあるのであれば、水増しの仕方が中途半端すぎて無意味ですし、①、②と同じく「成果である」というコンセンサスのもとでは事実を発表すれば良いだけです。おそらく、事実がこの場合ではないということでしょう。
以上の議論は「政策の成果をアピールするため」という前提でお話ししました。他にどのような場合が考えられるでしょうか。私はここまで書いて、この発表への興味はなくなりました。皆様も電車の中とか寝床の中でぼーっと考えてみてください。驚くような発見があれば、私もうれしいです。情報リテラシーを高めるためには、無用の頭の使い途ではないと信じておりますし、このような頭の使い方が無益でないことは、皆様にもご理解いただけると信じております。
この話題については、この文章では、多分言葉が足りていません。今回はこれしか書けませんが、また触れることもあるでしょう。頭の中がまとまったら、追記するということで。
最後に繰り返しになりますが、良い一年になりますように。
サンソン・フランソワ:ピアノ