shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20191115:「自動運転」について

こんにちは、白野狐です。秋らしくなりました。皆様も風邪など召されませんように。

 

今回のお題は、自動車の「自動運転」について思うところをおひとつ。

 

もちろん、自動車ですが、購入価額といい、維持管理にかかる費用といい、私ども庶民の持つようなものではありません。職業上の必要とか特殊な事情があるでもなければ、あれは「お金持ちの道楽」です。

 

最近では、お年寄りの運転する車が歩行者をはねたり、煽り運転などによる死傷者が出る痛ましい事件(「事故」とは呼べないでしょう)が発生したりして、この世界を慎ましく生きようとする庶民にとって重大な脅威となっているのは、皆様ご賛同いただけるものと信じております。

 

いつでしたか、前に「このような危険な者が運転する自動車は、外見によってそれと分かるようにすべき」とこのブログに書いたことがありましたが、そうなる気配はありません。このブログが読まれないことが主因とは思いますが、それはさておき。

 

これから本題です。「自動運転」です。残念ながら、事件を起こすお年寄りや煽り運転をする者など、「自動車を運転する適性や資質」と「自動車を購入・維持管理する財力」との間には相関がないようです。ですから、「自動車を運転する適性や資質」のない者が「自動車を運転する」ことが発生し、現在の自動車は「自動車を運転する適性や資質のない者でも運転ができてしまう」ことに問題の発端があると私は考えております。

 

このような観点で見ると「自動運転によってもっと自動車の運転が簡単になってしまう」のはいかがなものでしょうか。私が指摘したいのは「自動車の運転をする適性や資質のない者が運転する可能性が低い自動車を作る」方が努力の方向として正しくありませんか、ということです。とはいいましても技術的なハードルは極めて低いです。例えば、アクセルは助手席に配置して運転席との間に鉄格子をはめる、といったことです。これにより運転には必ず二人以上の人間を必要とします。「煽り運転」をするような人間が百人に一人でも、「二人とも煽り運転をするような人間である確率は一万分の一」でしょうから、安全性は劇的に向上します。それでも不安でしたら、「ハンドル」を運転席、「ブレーキ」を助手席、「アクセル」を後部座席というように分配すればさらに安全ですし、自動運転よりも技術的なハードルは随分低いと思いますがいかがでしょう。

 

自動運転を目標とする場合、自動車の周囲の物体を検出する機能が必要です。車間距離を計測したり、駐車時には後部を確認したりすることを自動で行わなくてはなりません。私のような部外者から見ると、これ以上電波を出す物体に周囲をうろちょろして欲しくない、というのが本音です。ただでさえ、少し表に出ればみんなスマホを起動して電波を出しまくっているのに。さりとて、電波の代わりにレーザーでは何かの拍子に目を焼かれそうで怖いし、超音波では、これはこれで健康に悪そうです。赤外線センサなら有望そうですが、内燃機関車ならともかく電気自動車でも成り立つのか疑わしいです。残るのは光学センサですが、これは濃霧の時とかに使えないとはいえ、これで自動運転車を作ってくれているのかしら、トヨタやホンダの人に聞いてみたいです。

 

随分と長くなりました。自動車に関して私の願いは「歩行者の安全」これだけです。ですから、今回技術的なハードルが低く有効そうな方法を提案しました。何かの拍子にこの文章が目に止まりましたら、自動車業界の方々にはご一考をお願いいたします。

 

これからの、皆様の安心と安全を、心からお祈りいたします。少しでも美しい世界を皆様と共に作っていきましょう。

 

BGM:ブラームスヴァイオリン協奏曲

   ジネット・ヌヴー:ヴァイオリン

   ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団