shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20190816:義務教育について

白野狐です。暑い日が続きますがなんとか乗り切って行きましょう。

 

今回のお題は「義務教育」です。いつでしたか憲法改正について書いた時、主権者たる国民にとって「改正」と呼べるのは、「義務教育」、「勤労」、「納税」の「国民の三大義務」の撤廃あるいは軽減しかないでしょう。と指摘したのですが、今でもその意見に大筋変更はありません。ただ、「義務教育」についてだけ思うところがありますので、今回紹介してみるつもりです。

 

義務教育は小学校と中学校で合計9年間、通常は6歳から15歳まで学校に通わなくてはならない、というものです。私は勘違いしていたのですが、これは学校に通う子供の義務ではなくて、保護者たる親の義務だそうです。ちゃんと憲法読めばそう書いてあります。単なる不勉強でした。しかし、当事者である子供には周知徹底して欲しかったです。今は周知徹底しているのでしょうか。「子供」の義務ではなく「親」の義務だと。

 

さて、今回思いついたのは「義務教育の意義」です。いつも思いつきですみません。というのは、登校拒否になって家に引きこもったり、ユーチューバーになったりといった子供のニュースが多いので、ニュースを信用する立場から、ニュースにならなくなるほどそういった子供たちが増加しないうちに、「義務教育の意義」つまり子供たちに「ちゃんと中学校ぐらいまでは行きなさいよ」というメッセージを送っておきましょうということで、これが今回の主旨です。全くの部外者からのメッセージですので、受け取り方はご自由に。

 

もちろん、義務教育を受けないでいると、買い物のときにお釣りの計算ができないとか、文章を読んでも読めない漢字が多すぎるとか日常生活に様々な支障をきたしますから、そこに最大の意義があること、国民全員に最低限のリテラシーを身につけさせることがが最大の意義であることに異論はありません。今回指摘したいのはもうひとつの方で、小中学校が「同年代の子供たちが集まる場である」ということです。公立の小中学校ですと、同じ地域に居住する各家庭からくる子供が同じ学校の生徒ということになります。

 

子供から見れば、初めて接する「社会」が学校ということになります。個人的な経験では小中学校は、「学校の先生」や「学校の同級生」による理不尽な精神的・身体的な暴力が蔓延する「美しくない世界」でしたが、それを観察することによって、何しろ周りの同級生は、あなたと同じ時期に大人になり、社会を構成する一員となるわけですから、将来の日本がどのような社会になり、その中で「通常の社会生活」を営むためには「何をして何をしないか」という見立てができるはずです。

 

このように考えると、学校は「社会のサンプル」ですから、できるだけ多く「標本抽出」(統計学ではそういうそうです)して将来の見立てに対する精度を向上させるのが正しい態度でしょう。小学校の制服にアルマーニを選んではいけない理由もここから説明できます。義務教育は「日本の世間の標準、日本人の民度」を的確に表現することに意義があるわけです。でないと「標本抽出」が正しくできません。

 

義務教育を受けているお子様たちには、「学校なんて意味がない」などと言わず、周囲をよく見て、同級生の価値観、思考パターンを読み取る練習をしていただきたいです。そのことで、大人になった時に「このような人間で構成された社会」でどのように生きて行くのが最も適切であるか、正しい判断ができる一助となるのではないでしょうか。

 

これからの世界に住む子供たちに祝福ありますように。

 

BGM:フォーレ レクイエム

   クリュイタンス指揮

   サントゥスタシュ合唱団・コロンビア管弦楽団