白野狐です。今回のお題は人口について。といってもたいしたことではないのでご安心下さい。電車でぼーっとこんなことを考えてました。というおはなし。
日本の人口が減少しているそうで、唐突ですが、こんな問い。
あなたの実感でもそうですか。
大変に混雑した電車の中から、いたるところに建設中のビルディングを眺めていて、日本の人口が足りてないと考えるひとはまずいますまいから、フェアでないことは承知の上です。これだけ、お役所の統計が信用できないと話題になっているときに、人口減少や少子高齢化だけは、政府(ほかにないからですが)の発表が何の疑いもなく鵜呑みにされているのが不思議だな、と思ったことはありませんか。というのが今回のお題です。
①信長「世にもっとも数多きものはなにか」 秀吉「人にござります」
②信長「世にもっとも少なきものはなにか」 秀吉「人にござります」
まさか、②の意味の人が減っている、というのが人口問題の主旨ではないとおもいます。すなおに出生数が減少している(と報じられて問題にされている)のが現状である。という認識です。なお、信長と秀吉の会話は記憶で書いていますから正確でないかもしれません(武田信玄と山県三郎兵衛の会話でも違和感ないですし)。訂正があればお待ちしております。
あるひとが、子供を持とうと考えるかどうかは、そのひとの子供のころの境遇と、それをどれほど正確に記憶しているかによって決まりますから、100パーセント、プライベートな問題で、他人がとやかくいう話ではありません。よく、地位の高い人が「子供を産まない女性はけしからん」風の発言をしますが、答えようがありません。「不足分は自分でがんばってください」というのがまともな感覚ですが、地位の高い人はたいがい老人ですから、こういってみてもどうしようもないです。ただ、他人にものをたのむときの当たり前の態度があるだろ、と思うしかありません。
さて、私を含め、世界の人々には各々自分の人生があります。「子供を持たない」ことは、人生における金銭、時間、労力など含めて莫大なコストとリスクの削減につながります。というよりも、それだけのリスクに耐える個人の数は、現在の「勝者総どり」のシステムのなかでは当然減少しますし、とくに日本では一度事業に失敗したりしますと、再起できる可能性は高くありませんから、出生数がへるのは現象としては理解できます。
いま書いたことは、自然現象ではなくすべて人為の所産でありますから、変えられるのかもしれませんが、そうなりそうにない。とすると、次のような疑問がわいてきます。
人口の減少は「事実」ではなく「願望」なのではないか
人口を減らすためには、①「死者を増やす」方法と②「出生数を減らす」方法があるわけですが、①は近代国家が常識的にとる方法ではありません。戦争しようとしたりとか。となれば、②しかないでしょ、と「願望の主」が考えていれば、実現できる立場にいれば、もしかして、と疑ってみた次第です。
もちろん、こんな安手の陰謀論は、だれか賢いひとがばっさり一刀両断にしてくれるでしょう。それを期待して、あえて文章に起こした次第です。ばっさり、待ってます。
ヘルマン・アーベントロート指揮