shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20190127:オリンピックについて

こんばんは。白野狐です。ずいぶん休んでいるあいだに年を越えてしまいました。

よい一年になりますように。

 

来年に東京でオリンピックするそうで、ボランティアの方々も十分応募があったようで何より。

 

一部では「ただ働き」にそんなに人数があつまるはずがないような論調もありましたが、それが実現して幸せになる人なんてほぼいないでしょう。昔の自衛隊の隊員募集みたいに駅前や繁華街で声かけられたり、自宅に勧誘の電話がかかってきたり。うっかり断ったりしようものなら、怒られたり。

というわけで、オリンピックみたいなものは滞りなく準備できて、滞りなく遂行されて、滞りなく通り過ぎてくれるのがみんなの幸せです。

私どものように開催国民である以外になんの関係もない人には、日常生活と無関係に通り過ぎてもらいたいものです。

 

もちろん、関係がないのなら本来無関心であればよいのですが、あたらしい競技場を作れの、ボランティアを集めろの、(没にはなりましたが)サマータイムを導入しろの、税金やその他の形で無関係な市民が巻き込まれているのを見るのは気持ちのよいものではありません。本来、こういうものは、参加者から費用を徴して賄うのがまともな感覚と思いますが、参加者にこのような感覚の持ち主がいないのは残念。

 

①自分の金を自分のために使うときには、コストパフォーマンスを考える

②自分の金を他人のために使うときには、コストのみ考える

③他人の金を自分のために使うときには、パフォーマンスのみ考える

④他人の金を他人のために使うときには、コストもパフォーマンスも考えない

 

というような言葉を聞いたことがありますが、オリンピックに(事務方であれ、選手であれ、観客であれ、ボランティアであれ)参加する人には、①の感覚でないとよいものはできない、ということは知っておいていただきたいものです。新聞報道見てもわかる通り経費は膨らむばかりで、③か④であることは明白ですが、つまり税金を投入している時点で、さわやかでない経費の押し付け合いになることは宿命ですし、現にそうなっているようです。

 

ほんと、オリンピックなんて、ガダルカナルとかサハラ砂漠とかアマゾン奥地とか人の目に触れないところでこっそりやってくれないかしら。

 

年初から、暗いお題ですみませんでした。つぎからは明るく。

 

BGM:ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」

   フランツ・コンヴィチュニー指揮

   ウィーン交響楽団