shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20200506:コロナウィルスについて思うこと。「適者生存」??

こんにちは 、白野狐です。お元気でお過ごしですか、とお尋ねすることも何か憚られる今日この頃です。皆様何卒ご自愛の程を。
 
家に逼塞して暮らしていても、生きてゆくためには買物その他、他人との接触なしにすることはできませんから、外出時にはマスク着用、帰宅すれば、手洗いうがいと個人でできることを確実にこなすしかありません。前回も書いたように、あとは「人事を尽くして天命を待つ」ことだけです。
 
「人の生き死に」は「天命」によって決まると私は考えております。今はやりの「感染症」につきましても、自分から「かかりそうな場所」に出向くのはいかがなものかと思いますが、残念ながら気をつけていても「かかる時にはかかる」のが実情ではないでしょうか。
 
この「感染症」のために世界中で経済活動が随分と低調となっております。ヴェネツィアの運河には魚などの生物が戻り、インドでは空気が澄んで遠くヒマラヤ連峰が望めるようになったとか。このような話を聞くと逆に「地球にとって病原体」は「我々人類」で「コロナウィルス」は「地球にとっての抗体」なのでは、などと想像してしまいます。
 
このように考えたとしても、私とて人類の一員ですからあまりコロナウィルスに肩入れすることはできません。「死にたくない」は本能ですから、他人がこれで亡くなったと聞けば当然悲しいですし、「自分の番」に怯えて暮らすのも致し方ないところであります。とはいえ、「魂の救済」が保証されるのであれば、別の考え方もありですが。
 
どの国でも、「感染症対策」と「経済活動の維持」をその国なりの重み配分で行っております。その重み配分は国の目標をどこに設定するかによって決まるはずですから、これを見ていれば、「暮らしたい国」と「暮らしたくない国」の見定めができるでしょう。と、そのような目でニュースとか今は見ています。

 

話がそれました。今回言いたかったことは、「適者生存」とはこのコロナウィルスを含むウィルスにとって当てはまることで、「人間社会」における「適者生存」のロジックをふりかざす人にとって、この「自然界における適者生存の典型であるウィルス」がどのように映っているのかな?という疑問が湧いたので、今回一文にしました。「人間社会にとっては迷惑」と思っているのか「適者生存の素晴らしい成功例」と思っているのか、私にとってはよくわからないです。世間には、「適者生存」のロジックによって弱者を虐げる人を見かけますが、このような人とてウィルスが忖度することはありませんから、彼ら彼女らはどのように受け止めるのかな?と思った次第です。

 

多分、答えが返ってくることはないでしょう。そういった人々も含めて、皆様のご健勝と、「天命」に幸あることをお祈りして、今回はここまでと致します。くりかえしますが、皆様のご健勝を。

 

BGM:ブルックナー交響曲第7番

  カール・シューリヒト:指揮

  ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団