shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20190525:自動車事故の防止について

こんにちは、白野狐です。

 

最近、痛ましい自動車事故が多々起きていて、巻き込まれた方々には、衷心より同情いたします。突然、大切な人をうしなうことの心のいたみは想像もできないほどでありましょう。今回は、このような事故を減らす方策に関する考察です。

 

最初に指摘しておきたいことは、今の自動車のオーバースペックぶりです。時速100キロメートルなど当たり前だそうで、その半分以下の時速40キロメートルでも、JAFのホームページによれば6メートルの高さから落下した衝撃が衝突時にはかかるそうです。これでは、普通の人間に衝突すれば到底耐えられません。

 

ですから、最も有効な解決策は「自動車の性能を、人間に衝突しても怪我しない程度まで落とす」ことですが、誰に言っても賛同が得られません。特にその人が冷酷無情というわけでもないのですが、とにかく賛同が得られない。エンジンの気筒数を減らして出力を落とすとか、ギアをたくさんかませるとか、技術的な困難は何もないと思うのですが不思議です。

 

であれば、次善の策を考えましょう。自動車事故を起こすのは、「アクセルとブレーキを踏み間違えた」とか、「前をよく見ていなかった」とか、さらにひどいのは「ポケモンGOをやっていた」とか、運転するひとに起因することがほとんどです。このような人物には免許証を交付しないのが最善ですが、交付する側に「このような人物」を予知できれば苦労はありません、唯一外見によって判断できるのは「年配の方」かどうかだけで、それでも、「年配の方」が事故を起こす確率が他の年齢層と比較して有意に高いとなれば、これから示す方策はある程度有効でありましょう。

 

危険にさらされる歩行者にとって最大の問題点は、「自動車を見ても運転している人の属性がわからないこと」です。遠くから直進してくる自動車をどのような人物が運転しているかわからないのです。これは、歩行者にとって危険予知の最大の手がかりを奪われていることと同じですから、どう考えてもここがボトルネックです。遠くから直進してくる自動車を「このような人物」が運転しているとかなり早い段階で察知できれば、安全に避難できる確率は高まります。少なくとも下がることはないでしょう。

 

となれば、「このような人物」が運転していることが歩行者にも遠くから判別できるようにすることが有効でしょう。「このような人物」はすぐには判別できませんが、「年配の方」なら誰にでも判別できます。これにより「年配の方」が起こす事故をかなり減らすことができると思われます。

 

具体的な方法ですが、いくつか考えられます。「珍走団の自動車のように幟を立てる」、「選挙カーや右翼の街宣車のように大声で通知しながら走行する」とか、しかし、幟を立ててはほかの事故の原因となるでしょうし、大声を出すのでは近隣に迷惑がかかります。そこで、色彩と夜間用に電飾による識別を提案したい。「年配の方」が運転する自動車を強制的に色彩を統一して電飾を施し、歩行者には「このような自動車をみたなら近づいてはならない」と教育するのです。これにより、歩行者は危険をかなり早い段階で察知することができ、適切な回避によっていたましい事故を避けることができるでしょう。技術が進歩して「このような人物」が事前に察知できれば、その自動車にも適用してより安全な社会となることでしょう。先日、池袋でお年寄りの運転する自動車が暴走してお母さんとお子さんが亡くなるいたましい事故がありましたが、「普通の自動車と外見が変わらない自動車がいきなり暴走する」ということは、やはりあってはならないことです。「危険な自動車」と最初から分かっていれば回り道をとるなど方策も立てられます。毒薬の瓶にどくろのマークを付けることと同じです。

 

色彩と電飾は「遠くから回避させること」が目的ですから、派手なものが望ましいでしょう、あとは、日本中にガードレールを設置することと、どちらが費用対効果に優れているかの問題だけです。

 

かなり前にも書きましたが、私の願いは「死後の魂の救済」です。このような事故で亡くなられては、現世に残す思いも多いことでしょう。すこしでもこの世界を生きる人々によりよい人生を送っていただく一助となれば幸いです。ほんと、すこしでもよい人生を皆様に。

 

BGM:チャイコフスキー交響曲第6番悲愴

    エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮

    レニングラード・フィルハーモニック・オーケストラ