shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20230510:マスクをつけますか。つけませんか。

こんにちは、白野狐です。長い間猖獗を極めていたコロナ肺炎の感染状況が落ち着いたとのことで、「季節性インフルエンザと同じに感染症法上の位置付けを変える」ということに決まったそうです。統計が不正確だった実績があったりした厚生労働省の「決めごと」ですが、他にあてになる資料もなさそうなので善良な一市民としては「はい、そうですか」というほかありません。とはいえ、実際の生活はコロナ禍中とそれほど違わないでしょう。外出を控え、外出後は「手洗い、うがい」を欠かさない。でも、これって、コロナの発生前からそうでした。違ったのは、コロナ禍中は外出時にマスクをつける習慣ができあがったことだけです。

 

さて、「季節性インフルエンザと同じに感染症法上の位置付けを変える」というのは「人間の決めごと」で「自然の摂理」とは関係がありません。私ども庶民は、先に書いたように「お上の決めごと」につきあっているだけです。

 

なはずなのですが、これで私ども庶民は「ある決断」を迫られることになりました。というと大仰ですが、標題の「マスクをつけますか。つけませんか」です。私ども庶民は「マスクの有無は自己判断」と突き放されてしまいました。くだらないけど。

 

くだらないけど、これを機会に「行動を選択する基準」について私の「基準」についてまとめてみようと思います。あくまで個人の「基準」ですので、同調いただければ嬉しいですけど強制できる立場にはありませんから、せめて「ご参考」にでもしていただければ。あと、蛇足とは思いますが「選択肢の存在が前提」ということはお忘れなく。

 

私が「行動を選択する基準」の第一は、「ご飯とお酒が美味しくいただける方を選ぶ」というものです。当然「高級料理・食材」などではなく、「疚しい気持ちを持たずに済む方」という意味です。普通の人は皆そうだと信じていますが、残念ながらこの基準では「マスクをつけますか。つけませんか」を決めることはできません。

 

次に重要と思われる基準は「説明のいらない方を選ぶ」です。「なぜマスクをつけるようになったのか」といえば、「コロナ肺炎の飛沫感染による拡散を防止する」だったはずです。「この状況が変わった」と判断すれば、「マスクをつけない」という選択肢も「あり」ですが、「なぜそう判断したのか」という説明が求められます。「お上の決めごと」で「説明できた」と考える人がどれほどいるでしょうか。ということで、今は「マスクをつける」方を選択しております。

 

今回のコロナ禍で私たちが学んだことは、「人間も自然の一部である」という、多くの犠牲者を出したわりには「当たり前すぎること」だったと思います。この自然、あるいは世界と「どのように折り合いをつけてゆくか」というのは、哲学の一部なのでしょうか。簡単に答えの出る問題とは思いませんし、もしかしたら、「コロナ禍」のような事象に「場当たり的」に対応するしかない問題かもしれません。

 

「悩む」というのは選択肢があっての話です。選択肢がなくて苦境に陥るのは、「困る」であって、「悩む」のは「選択肢があるだけマシ」と前向きに捉えましょう。この世界に生きる皆様に祝福ありますように。

 

BGM:チャイコフスキー交響曲第4番

   ムラヴィンスキー:指揮

   レニングラードフィルハーモニー