shiroyakoの日記

思いついたことを徒然に

20181014:人は死んだら

今回のお題は「人が死んだら」です。最初からなんてこと。などとお思いにならないでくださいませ。最も関心のあることなので。

 

実際のところ、死んだらどうなるのか、は全然わかりません。ほんとだれか賢い人に明らかにしてほしいのですが、できていません。方法論に間違いがあるのか、それとももともと無理筋なのかすらわからない、というのが現状です。

 

このような場合の通常とる手筋はひとつです。つまり死後の世界は「ある」ものと考える。ないとすれば死後は魂もなくただ滅びるだけなので、そのような場合を考えても仕方がありません。後悔する主体、つまり自分ですが、それは存在しなくなる、ということです。

 

さて、死後の世界があるものと考えると、私の願いは万人のそれと同じ、すなわち魂の救済であります。どのようにしたら救済されるのか、正直わかりません。天国へ行くようなイメージを持っていますが、どのようにすれば行けるのかわからない、というのが現状です。

 

このような場合の思考実験のひとつとして、「どうすれば天国へ行けるのか」ではなく、「天国にはどのような人間、正確には魂で満ち満ちていそうか」を考えるとヒントになるかもしれません。端的にいえば「テロリストで満ち満ちた天国」というのは、通常は想像が難しい。少なくとも私にはできません。「他人をだましたり、傷つけたりすることが好き」な人間は、天国にいてもつまらないのではないでしょうか。「いてもつまらないところ」が天国であるというのは、うまく想像できない、つまりそのような人々で満ち満ちてはいない。と想像できませんか。正しくないかもしれませんが。

 

天国は、「精神的に満ち足りた場所」となんとなく想像しております。仲の良い人とともども、そのような世界で暮らすことができれば、この世界に生まれてきて、苦労した甲斐もあったということでしょう。そのようになるためには、先ほど申し上げたように、「天国にいて違和感のない魂」となることが大切です。

 

今回は、このようなとりとめのない話となりました。このブログでは、日々考えていることをこのように書き綴っていく予定です。

 

BGM:ブルックナー交響曲第9番

   エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指揮)

   ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団