20231127:大阪万博について
こんにちは。白野狐です。先月末にハロウィンのお祭りがありました。大変な盛況だったそうですが、このハロウィン、もとをただせばケルトのなにやら土俗めいた悪霊調伏の行事だったとか。これをもとにお祭り騒ぎというのは、あまり品の良い行為とは思えません。昨年、韓国で多くの死者がでた、というのも「悪霊のお招き」と考えるのは私だけでしょうか。
話がそれました。今回のお題は「大阪万博」です。予算が膨れ上がるの工期が間に合わなくなりそうのと開催が危ぶまれているかに聞こえておりますが、実行されてしまうのでしょう、「国の威信にかけて」なんておっしゃる政治家の先生もおられましたし。
まず、「万博」って何をみせてくれるのでしょう?というのが、最初の疑問です。よくわかりません。これでは、賛成も反対もしようがありません。だから、「予算」とか「工期」とかはたまた「経済効果」なんてところにしか話がいかないように、私のような一庶民から見えてしまいます。
「何を見せてくれるかわからない」というのはホントにそうで、「大阪万博」で検索かけて「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」のホームページを見ましたがよくわかりませんでした。
もちろん、私ども庶民には関係のない話です。「何を見せてくれるかわからない」イベントに前売りでも入場料5千円なんて高すぎて手がでません。期間中はさらに高くて6千円とか。これでは「福袋」を買うのとマインドはそう変わりません。もちろん世間には一定数「福袋を買うのが好きな人」がいることは承知しておりますが、たいていお金持ちの人でしょう、通常の庶民感覚にはそぐわないものと考えます。
さて、ここからが提案です。どうせ「庶民を相手にしていない」ことはこの「価格設定」から明白ですから、入場料をもっと大幅に値上げしてはいかがでしょう。というのが今回の提案です。たとえばひとりあたり1億円とか。きけば、大阪万博の会場建設費は最大2350億円だそうで、これなら「2400人のお客様」で十分もとがとれますし、話題になっているリングにしても350億円ですから、「あと400人」お客様がくればお釣りがくる勘定です。
この「価格設定」により「混雑による事故」の可能性はほぼ皆無となり、会場はコンパクトにまとめられて、工期も建設費もさらに圧縮できてその分利益は増大する、と思われます。お客様は快適な環境で見物できてハッピー、主催者は利益が出てハッピー、そのうえ今一人当たり1万9000円とされている大阪市民の負担もなくなって大阪市民もハッピーと「三方良し」の典型例となることが期待できます。
唯一、想定される反論は、「1億円の入場料ではお客がひとりもこないのでは」というものですが、「国の威信をかけて」出展するものが「1億円かけて見る価値がない」というのも、「卑下しすぎだろ」としか思えません。一体なにを見せるつもりなのでしょう。
このアイデアが実行されるかどうかは、「主催者がわの本気度」によって決まりますから、庶民の立場でできることはもうありませんが、どうなりますやら。
今年ももうすぐ終わりです。来年こそ、こんどこそ良い一年となるように祈っております。この世界に生きる人々に祝福ありますように。
20231019:説明も苦手です
こんにちは、白野狐です。ウクライナで戦争があって、それも集結しませんが、今度はイスラエルで戦争とか。どちらにも言い分はあるのでしょうが、おだやかに解決してほしいものです。ふつうの人は「平和を希求」していると思うのですが、人の上に立つ人はそうでもないのかしら。
人を亡ぼさんと欲するときは、神はまずその人の理性を奪う。
トルストイの「戦争と平和」の一節です。ナポレオンがロシアに侵攻する場面で使われました。思い浮かんだ言葉がこれだったのですが、「理性」が戻ることを願うばかりです。
話がそれました。今回のお題「説明も苦手です」も私のことですが、「20230622:雑談が苦手です」の続きです。「雑談」と違って「説明」の場合、話題に事欠くということはありません。なにかしらの「事象」が先にあって、それについて解釈を言葉で実施する、というのが「説明」の一般的なパターンである、と認識しております。広辞苑にも「事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかすこと。」と書いてありますから、ほぼほぼ間違いないでしょう。
その「説明」が私は苦手です。一社会人として職務を遂行しておりますと、例えば上役にでしたら、業務の位置づけ(なぜその業務をするのか。つまり経緯と目的)、業務の方針(どのように目的を達成するのか)、業務の進捗状況、業務上の問題点と対処方策、そして結果といった一連の流れの各段階において、「説明」してコンセンサスを得る必要があります。この種類の「説明」は非常に簡単です。コツは「うそをつかないこと」これだけです。どこかの段階で「おじゃん」になることはありますが、それも「職務のうち」です。
余談ですが、昔務めていた職場で「上司に説明する」といって怒られたことがあります。上司には「報告」だろ、と言われました。そうなんですか。
さて、苦手なのは、このような職務とは関係のない「説明」です。「20230622:雑談が苦手です」に書いたとおり、他人と話すときに話題にしてはいけないことはいくつもあるのですが、この価値観が共有されていない相手と話をしなくてはならない場合が日常生活では何度か発生します。このような「雑談の得意な」相手に、「雑談の苦手な」私が話をしなくてはならない場合にする「説明」は地獄です。「なぜ子供を持たないのか」とか「家は買ったほうがよい」とか。「そんなお金はない」と斬り捨てたのでは人間関係が悪化しますから、なんとなくお茶を濁すような後味の悪い返答をして、ほうほうのていで逃げ出すしかありません。
つまり「説明が苦手」なのは、「相手を間違えた場合」です。人生では、「ちょうどよい説明相手」というのは、なかなか出会えません。価値観あるいは知能の程度によって「説明してもわかってくれない人」か、逆に頭が良すぎて「説明しなくてもわかる人」が大半です。どちらの相手にも「説明による達成感」は得られません。こちらが「説明」をして、「なるほど」と膝を打ってくれる人があなたの周囲にいたら大切にしてあげましょう。ほんとに貴重な人、さらに言えば「人生の宝」です。私はそう信じています。
というわけで、戦争中の各国の指導者に「戦争の無益」をきちんと「説明」して、「平和をもたらす人」は現れないのかしら、「説明の成否」は相手によってほぼ決まる、というのが不幸のもと、と思っています。
平和な世界が訪れますように。
BGM:ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
アンドレ・クリュイタンス:指揮
フランス国立放送局管弦楽団
20230918:すまじきものは宮仕え 「不機嫌」という伝染病
こんにちは。白野狐です。残暑の厳しい折柄ですが、乗り切ってゆきましょう。
今回のお題は「不機嫌」です。タイトルに示しましたように「不機嫌」は人にうつります。この「不機嫌」のタチが悪いところは、「見ればわかる」ことで、だれでもふつうは「不機嫌」になりたくありませんから、このような人物を見かけたならよけて通るのが普通です。本来ならばここで話は終わりです。
ところが、人生には「不機嫌をよけて通れない」状況がかなりの頻度で発生します。学校へいったら先生の機嫌が悪いとか、職場に行ったら上役の機嫌が悪いとか。このような状況下では、極力かかわりを持たないように気をつけて過ごすしかありませんが、運悪く、というかよほどの幸運にめぐまれないかぎり、何らかの形でかかわらざるを得ません。こうなると、何しろ相手は「不機嫌」ですから、円満なコミュニケーションなど成立するはずもなく、一方的な叱責や小言をもらってこちらまで「不機嫌」になる。これが一般的な「不機嫌」の伝染するプロセスかと思いますが、誰もしあわせになりません。解決法が望まれるところであります。
もちろん、私ども凡人には解決法などは見当もつきません。ただし「不機嫌」はさきに書きましたように「上から降ってくる」場合がほとんどです。先生や上役による「不機嫌」が二次・三次感染である場合、つまり「そのまた上役」に起因する場合は致し方ありませんが、先生や上役自身に起因する「不機嫌」は、普段の観察によって見当がつくことがあります。というか「仕事がたのしくない」が原因であろうと推察される場合がほとんどです。
先生や上役ですから、私ども庶民よりは高額の収入を得て、暮らし向きもいいはずですが、それなのに機嫌が悪い。「いやな仕事を我慢してする」というのは「いい暮らし向き」を帳消しにするほどの破壊力がある、ということなのでしょう。
そんなにいやな仕事ならやめちゃえば、というのは私ども庶民の発想で、先生や上役の不機嫌が昂じてパワハラにいたってしまうと登校拒否や転職するほかありませんからそうしますが、先生や上役は地位にしがみつくことが多いようです。というか地位にしがみつく人が「不機嫌」になって、生徒や部下に「不機嫌」をまき散らす、という構図です。
「地位にしがみつく」理由はなんでしょう。「不機嫌」になるほどですから適性がないのは明らかです。となると考えられるのは「暮らし向きを維持する」だけです。普通に先生や上役を観察していれば、住宅ローンを抱えていたり、子どもにお金をかけていたり、ということがわかってきます。生徒や部下にこんなことを看破される先生や上役もいかがなものか、ということは措いといて、「住宅ローンや子ども」はまったく先生や上役の個人的事情です。これを学校や職場に持ち込まれるのは生徒や部下にとって「災害」以外のなにものでもありません。
私ども庶民は労働力の提供以外にお金を得る手段はありませんから、このような「災害」を免れる方法はほぼありません。行政府の皆様には是非とも「皆が上機嫌で過ごせる社会」を構築していただきたいものです。この世界に生きる皆様が機嫌よくすごせますように。
ブルーノ・ワルター:指揮
20230709:「鉄砲」のない社会を希望します。
こんにちは。白野狐です。いささか旧聞には属しますが、タイタニック号を見物にいく潜水艇が遭難したとのことで、合掌。とはいえ、大惨事のあった現場を観光として見に行く、というのはあまり品のよい趣味とは思えません。潜水艇の設計がまずかった、ことにはなっていますが、本当のところはどうでしょう。「先の犠牲者のお招きにあずかった」と考えるのは私だけでしょうか。
話がそれました。今回のお題は、「「鉄砲」のない社会を希望します」という、まともな人ならそれほど違和感のない話題です。今回これをとりあげたのは、「憲法変更(「改正」とはいえないでしょう)」とか、「防衛費の増額」とか、「マイナンバーカードの普及の無理強い」とか、あまり「平和を希求する」方向には政策が進んでいるようにはみえないので、一庶民として、「先行き心配」ということです。
庶民には必要ありませんが、国家としては、国防は必要なようです。税金は高いし、暮らし向きはよくならない、しかもそれがすべて「自己責任」と突き放すような国家を「防衛する」意義は、庶民にはよくわかりませんが、「国家とはかくあるべし」と考えている人が「国防が必要」と考えているのでしょう。
さて、このような文脈で心配しているのが「徴兵制になること」です。私ども庶民に鉄砲を渡されても本当に困ります。個人としては、とりあえず押し入れにしまって、弾薬は鍵のかかる場所に保管する。でよいのですが、困るのは「みんなが鉄砲を持っている」ことです。
まともな人間なら鉄砲を渡されたところで、他の人間を撃てるわけはありません。そんなことをすれば、撃たれたほうは悪くすれば死んでしまうからです。これでは撃ったほうも撃たれたほうも極楽に行けそうにありませんから、そんなことはできないのです。
ところが、世間には「恨みのある人間になら鉄砲を撃てる」人が存在するようなのです。政治家の人を撃ったり、病院や民家に立てこもったり、恨みのある上官を訓練中に撃ち殺したり、とこれらはかなり最近の例ですが、とにかく「そういう人」がいる。
怖いのは、「そういう人」を事前に検出することはできなさそうなことです。私ども庶民ができる対策は、「人様の恨みを買わないようにする」ことだけですが、これはすでに日常生活のなかで実践中です。まともな人なら。
「人様の恨みを買わないようにする」というのは、実は結構な難行で、とくに最近は「公園の子どもがうるさい」とか「たんぼのカエルがうるさい」とか「サービスエリアで運転手がカレーを食べていた」とか、普通の人が思いもよらないことで「恨み」を買ったりします。
また、前回のブログでとりあげた「他人を傷つけることに抵抗のない人」が私の限られた人生経験では、結構な割合で存在していて、こういう人にも鉄砲が配られると思うと、怖いです。ほんと。
というわけで、「「鉄砲」のない社会を希望します」です。ありがたいことに現状、ほぼ、実現していますから、これが続きますように願っております。争いのない世界が訪れますように。
BGM: ブルックナーミサ曲第2番
ヘレヴェッへ:指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
20230622:雑談が苦手です
こんにちは、白野狐です。唐突ですが、ある程度人生を生きていますと、「他人を傷つけることに抵抗のない人物」がある程度の割合で世間にいることがわかってきます。あからさまに見下したり、大きな声で罵倒したりする人々です。私ども普通の人間は、このような人物に遭遇した場合、ただひたすら機嫌をとるか、よけて通るほかありません。うっかり機嫌を損じて、刃物とか鉄砲とか持参で家庭訪問でもされたら目もあてられません。
わがほとけ となりのたから むこしうと てんかのいくさ ひとのよしあし
このブログを始めたときに紹介した句です。公共の場で話題にしてはいけないことを詠んだ古人の知恵です。宗教、他人の財産、身内、政治、他人の陰口は、話題にすべきでないでしょう。現代でも立派に通用する考え方と思います。
さて、今回のお題「雑談が苦手です」は私のことですが、「わがほとけ となりのたから むこしうと てんかのいくさ ひとのよしあし」のほかにも、他人とお話するときに話題にしてはならないことはいくつもあって、例えば、ひとの学歴や出身地や外見や家族構成などは「常識的に」話題にしてはいけないでしょう。
というわけで、私が他人とお話できる話題といえば、「天気と時節柄」のお話だけです。どのような天気が「良い天気」でどのような天気が「悪い天気」かについて他人と意見が対立することはまずありませんから、安心して話題にできます(「天気に善悪がある」というのも考えてみればおかしな話ですが)。これが「雑談が苦手な理由」です。安心してお話できる話題がこれしかないので、会話が続かないのです。
ところが、世間にはこのような「話題にしてはいけないこと」を聞いてくる人がいて本当に困ります。はなはだしい場合には初対面で「出身校は?」などと聞かれます。嘘つくのも嫌なので正直にいいますけれども、できれば話題にしたくない。さらに悪いことに、このようなことを聞いてくる人が、今回の最初に述べた「他人を傷つけることに抵抗のない人物」である可能性が極めて高い(あくまで個人の感想です)。というわけでますます「雑談」がイヤになる、という悪循環です。
ありがたいことに、私の今の勤務業態は在宅、つまりテレワークです。早起きがいらない、電車に乗らなくていいなどメリットだらけですが、メリットのひとつに「雑談しないで済む」というものもあげられます。ほんとうにありがたいことです。勤務先に感謝。
今回は私が「雑談が苦手です」というお話でした。ほんと解決策がない問題で、「雑談しないで済む環境に逃げる」ほかありません。同じ悩みを抱える世界中の皆様になんらか祝福ありますように。
ジャック・ティボー:ヴァイオリン
パブロ・カザルス:チェロ
20230510:マスクをつけますか。つけませんか。
こんにちは、白野狐です。長い間猖獗を極めていたコロナ肺炎の感染状況が落ち着いたとのことで、「季節性インフルエンザと同じに感染症法上の位置付けを変える」ということに決まったそうです。統計が不正確だった実績があったりした厚生労働省の「決めごと」ですが、他にあてになる資料もなさそうなので善良な一市民としては「はい、そうですか」というほかありません。とはいえ、実際の生活はコロナ禍中とそれほど違わないでしょう。外出を控え、外出後は「手洗い、うがい」を欠かさない。でも、これって、コロナの発生前からそうでした。違ったのは、コロナ禍中は外出時にマスクをつける習慣ができあがったことだけです。
さて、「季節性インフルエンザと同じに感染症法上の位置付けを変える」というのは「人間の決めごと」で「自然の摂理」とは関係がありません。私ども庶民は、先に書いたように「お上の決めごと」につきあっているだけです。
なはずなのですが、これで私ども庶民は「ある決断」を迫られることになりました。というと大仰ですが、標題の「マスクをつけますか。つけませんか」です。私ども庶民は「マスクの有無は自己判断」と突き放されてしまいました。くだらないけど。
くだらないけど、これを機会に「行動を選択する基準」について私の「基準」についてまとめてみようと思います。あくまで個人の「基準」ですので、同調いただければ嬉しいですけど強制できる立場にはありませんから、せめて「ご参考」にでもしていただければ。あと、蛇足とは思いますが「選択肢の存在が前提」ということはお忘れなく。
私が「行動を選択する基準」の第一は、「ご飯とお酒が美味しくいただける方を選ぶ」というものです。当然「高級料理・食材」などではなく、「疚しい気持ちを持たずに済む方」という意味です。普通の人は皆そうだと信じていますが、残念ながらこの基準では「マスクをつけますか。つけませんか」を決めることはできません。
次に重要と思われる基準は「説明のいらない方を選ぶ」です。「なぜマスクをつけるようになったのか」といえば、「コロナ肺炎の飛沫感染による拡散を防止する」だったはずです。「この状況が変わった」と判断すれば、「マスクをつけない」という選択肢も「あり」ですが、「なぜそう判断したのか」という説明が求められます。「お上の決めごと」で「説明できた」と考える人がどれほどいるでしょうか。ということで、今は「マスクをつける」方を選択しております。
今回のコロナ禍で私たちが学んだことは、「人間も自然の一部である」という、多くの犠牲者を出したわりには「当たり前すぎること」だったと思います。この自然、あるいは世界と「どのように折り合いをつけてゆくか」というのは、哲学の一部なのでしょうか。簡単に答えの出る問題とは思いませんし、もしかしたら、「コロナ禍」のような事象に「場当たり的」に対応するしかない問題かもしれません。
「悩む」というのは選択肢があっての話です。選択肢がなくて苦境に陥るのは、「困る」であって、「悩む」のは「選択肢があるだけマシ」と前向きに捉えましょう。この世界に生きる皆様に祝福ありますように。
ムラヴィンスキー:指揮
20230502:原子力発電について
こんにちは、白野狐です。いささか旧聞にはなりますが、首相が爆発物で狙われたとのことで、犯人の動機を追及してはいけないふうの論調があると聞きました。申し訳ありませんが、それを聞いて最初の感想が「オストリッチ症候群」です。その前の元首相が狙撃された事件では、「宗教こわいよね」とか「他人様の恨みを買ってはいけないよね」とか私ども庶民にも多少の教訓がありましたが、動機がわからないでは気をつけようもありません。ここは是非きちんと説明して安心させていただきたいものです。「犯人の動機を追及してはいけない」ふうのことをいう人はなぜ安心なのかしら。
話がそれました。今回のお題は「原発再稼働」についてです。私ども庶民は子どももいませんし、「日本の将来について心配する立場」にはありませんから、個人的な都合から言えば、それで電気代が安くなるのなら全然構いません。
よくわからないのは、「日本の将来を気にしなければならないはずの立場の人」が原発再稼働しようとしていることです。東日本大震災の頃に生まれていなかった人でもないのに。ほんとに安全と思っているのかしら。私が心配しているのはこの「判断力のなさ」です。これから先、大きな地震も起きるでしょうし、戦争だってないとはいえません。
私ども庶民はこのように考えますが、どうも偉い人が考えることはちがうようです。まあ、本当に戦争が起きると思っているのであれば、ミサイルや爆撃をかわすために日本中に退避壕を建設するはずですし、すくなくとも「トマホーク大量購入」なんて方向には頭は向かないはずです。なにか外国と協定でもあるのでしょう。それを知らせてくれるだけで私ども庶民は安心できるのですが。
さて、原発で最も恐ろしいのは、チェルノブイリとか福島とかで起きるような事故です。おそらく反対意見はないものと思います。行政府のひとがどのように言いつのっても「アンダーコントロール」にはなりません。頭が二つある子どもが産まれたりしてよろしくありません。最悪なのは、自分がそのような子どもに生まれ変わって、しかももう一つの頭が、「自分がキライだったひと」の生まれ変わりだとそれこそ目も当てられません。その意味では庶民とて「原発再稼働反対」一択となるはずです。ほんと、誰か生まれ変わりはある・ないを証明してくれないでしょうか。目先にとらわれてうっかり「原発再稼働賛成」なんてしてしまうとあとで後悔しそうです。いまの生活は楽ではありませんが、なんとか乗り切っていきましょう。皆で力をあわせてより良い世界となりますように。無駄な願いかもしれませんが、生きている以上、最後まで希望を捨てたくはありません。
より良い世界となりますように。
ペーター・マーク:指揮
ジェニファー・ヴィヴィアン/マリオン・ロウ
コヴェントガーデンロイヤルオペラハウス女声合唱団
20230331:「異次元の少子化対策」??のつづき
こんにちは。白野狐です。いささか旧聞に属することとはなりましたが、WBCで日本が優勝したとか。野球に興味のない身としてはなんでもどころかどうでもいいことですが。これも先のオリンピックのときと同じ会社のとりまわしとのことで、前回のオリンピックのことを思い起こせば、あの国民の皆様の浮かれっぷりをみると、「ちょろい連中」と裏で笑われているのでは、と心配になります。話がそれました。
今回のお題は前回と同じく「異次元の少子化対策」です。前回の終わり方があまりすっきりしないもので、その埋め合わせです。前回のおはなしは、「少子化対策」が「お金持ちどうしの分捕り合戦にしか見えない」ということと、「お金があっても、子どもを持つかどうかは個人の属性で決まる」ということでした。
さて、私ども庶民は「お金がないから子どもは持たない」一択ですから、「子どもの有無」によって前回示したこれらの「個人の属性」を発現させることはありません。これはこれで「子どものいないメリット」かとは思いますが。それはそれとして。
本題に戻ります。日本の政権与党は「消費は悪」というイデオロギー政党である。と私は思っております。何年も続いたデフレといい、消費税率を頑として下げない態度といい、ほぼ確信に近いものですが、皆様いかがお思いでしょうか。もちろん皆が選んだ政権与党ですから、皆様が「消費は悪」と考えている、ということです。このような状況下で、「そんなことないだろ」と住宅ローンや子育てなど消費に励んだのでは、現実に生活が苦しくなるだけですし、同情もされません。「協調性がない」とか「自己責任」とか言われて終わりです。
今回気になったのは「子どもを産んだら奨学金返済の減額」というような施策(?)があってツイッターを見たら散々な評価でした。確かに「なにこれ」というような感情的な違和感は私も感じるところです。そのような違和感は別としても、子育てには養育費+教育費でおおむね三千万円ほどかかるそうです。一方、奨学金借り入れの平均額は約三百万円だそうで、これでは全額免除でも約一割引きにしかなりません。これで「それでは子どもを産みましょう」とはなかなかならないのでは、と思います。
なぜ、このような「的外れ」な施策案がでるのか、もう見当がついたかと思います。「消費は悪」というイデオロギーのもとでは「消費の主体すなわち人間が減る」ことが「消費という悪を恒久的に減らす」ために最も効果的です。つまり、政権与党にとって、それを選んだ皆様にとって「少子化対策がうまくいく」というのは「生まれてくる子どもが増える」という意味ではないということでしょう。
このブログでは何度も書いていますように、「勤倹貯蓄」をすすめています。家や車や子どもといった「お金のかかること」には一切手を出さない「生き方」が最も望ましいと考えられていますので、皆様の意思に逆らうことなく、私ども庶民はそのように生きていきましょう。あまり将来のことを気にする必要もなくなりますし。
今回は前にも同じことを書いたと思いますが、「少子化は問題ではない(と受け止められている)」というお話でした。戦争もコロナも終わらない世界で、少しでも皆様の心の平安をどこかで得られるよう、お祈りいたします。
ブルーノ・ワルター:指揮
20230226:「異次元の」少子化対策??
こんにちは。白野狐です。外出すると梅の花がちらほら咲いているのを見かけたりして、戦争やコロナな重税など人々のあまり楽しくない営みとは無関係に、季節は来てまた去っていくことを見届けると感慨深いものがあります。この世界で人の作る枠組みはほんの一部なのだなあ、と。皆様はいかがでしょうか。いつも書いていますが、この世界に住む皆様に祝福ありますように。
今回のお題は、行政府が掲げる「異次元の少子化対策」です。「異次元の」がミソです。もちろん私ども庶民は、すでに「異次元の金融緩和」なんてやられて、日本円も日本経済も先行きもあやふやですから、このような前例があるのに、また繰り返すセンスに驚くのみです。行政府には、「異次元」ではなく「普通にまともな政策運営」をしていただいて「普通にまともな生活」が営めるようにしていただきたいな、というのが正直な感想ですが、どうもこのような行政府を選ぶ有権者の方々の思いはちがうようです。私の感覚がまちがっているのかしら。
さて、「異次元の少子化対策」となっておりますが、最近では「子育て支援の所得制限の撤廃の是非」が主な議題のようです。何度も書いていますが、「子育ては金持ちの道楽」の感覚の私ども庶民からすると、「子どもを持てるようなお金持ちの税金や社会保険料の分捕り合戦」にしか見えません。「道楽」に金銭的な支援を行うのは、ばくち打ちに元手を与え、酒飲みに酒手を渡すのとあまり変わりありません。「あのー、その原資には私の払ったお金も入っているんですけど…」といいたいのはやまやまですが、言ったところで効き目があるとも思えません。
最初はこのように考えました。どうみても「庶民のひがみ」で正否はともかく、さわやかでないことは確かです。認めます。でも、少し考えて考えを改めました。このような場合を想像するとわかりやすいでしょう。子どもが生まれた場合です。
私ども庶民のように、通常の社会生活を細々と営んでいる人々に、幸運によってか、政策によってかとにかく多少の金銭的余裕が生まれたとき、「それでは、子どもを産みましょう」となるでしょうか。
ある人が「子どもを持とう」と考えるかどうかは、次のようなことで決まると考えられます。
・生活の現状を正確に把握できる認知能力の有無
・将来の世界の見立てをある程度の筋道を立てて推測できる判断力の有無
・その見立てた世界に「自分の子ども」が生きると想像したときの共感能力の有無
・「自分の子ども」に対する愛情の有無
ほかにもあるかもしれませんが、概ねこんな感じでしょう。これらはすべて「個人の属性」ですから他人がとやかくいうことではありません。ただ、「子育ては金持ちの道楽」という「道楽」は「親にとっての道楽」であって、生まれた子どもは、生まれた以上「自分の人生」を生きなくてはなりませんから、真剣さの度合いがまったくちがうということは、「親になろうとする人」は是非ともご一考ください。部外者の発言ですが、心のどこかに留め置かれますと幸いです。
この世界は戦争や疫病や税金など「楽しくないこと」であふれています。皆で力をあわせて、「少しでもましな世界」に生きていければと思います。皆様のご健勝をお祈りします。
(追記)
「20190303:人口が減少すると」の中で、
あるひとが、子供を持とうと考えるかどうかは、そのひとの子供のころの境遇と、それをどれほど正確に記憶しているかによって決まりますから、100パーセント、プライベートな問題で、他人がとやかくいう話ではありません。
と書いていました。このときはそう思ったのですが、違ってましたね。これも判断の一部ですが、今回のお話では「共感能力」の一部となるでしょうか。お詫びして訂正いたします。
スメタナ四重奏団
20230130:居眠りをなくす方法
こんにちは、白野狐です。年もあらたまってようやく落ち着いてきた昨今ですが、あまり良いきざしは見えません。コロナは収まりませんし、戦争も終わらない。世間では増税のはなしばかりで暮らし向きがよくなるとも思えません。どうも、私ども庶民は行政府からは「徴税の対象」としか思われていないようで心配になります。このようなことにもめげず生きていきましょう。世界に生きる皆様に祝福ありますように。
さて、今回のお題は「居眠りをなくす方法」です。会議の場などで自分に関係のない話題のときについつい居眠りしてしまうことは、よく経験するところです。それは致し方ないことですし、「議事の進行を妨げない」という意味合いではそれなりに意義のあることかもしれません。
ただし、世間には、そのようなことが許容されるべきでない方々がおられます。「国会議員の先生」などです。「議員の先生」の議題は国や県や市の施政にかかわることですから、「議員の先生」とて国民、県民、市民である以上、「自分に関係のない話題」は論理的に存在しえません。つまり、「居眠り」などしていけない理由はここにあります。ところが、実際には「居眠り」をする「議員の先生」は実在して、新聞やテレビやインターネットによく写真がアップされているのはよく目にするところです。
これは、うっかりこのような「先生」を選んでしまった選挙民の皆様も気まずい思いをいたしますし、なによりも、「この議題は重要でない」ことのアナウンスととられますからよろしいことではありません。
というわけで、このような「居眠り」をほぼ確実に一掃する方法を提案するのが今回の一文です。費用はほとんどかかりません。廃品業者へのひきとり手数料だけです。
「議場からすべての椅子を撤去する」
いかがでしょうか、会議はすべて立ったまま行うのです。これには「居眠り防止」以外にもメリットがいくつかあって、「立ったまま会議をすると時間が長引かない」あるいは「長時間の会議に耐えられるように、参加者の若返りが期待できる」などということが考えられます。これが実現するかどうかは、当事者の問題意識のありかによって決まりますから、あまり期待はしていませんが、とりあえず一国民からの提案として一文にした次第です。
さて、今回、得意げに自分のアイデアのようにお話ししましたが、元ネタがちゃんとあります。これを実践していた歴史上の人物がいて、ミッドウェイ海戦の立役者レイモンド・スプルーアンス提督です。艦内での会議は全部立ったまま行ったそうです。この提督は、ほかにも旗艦をあえて手狭な巡洋艦にして幕僚の数を減らし、ハルゼイ提督と同規模の艦隊の運用を半分以下の数の幕僚で切り盛りしていたとか、それでいて睡眠時間は絶対確保とか、参謀長からは「怠け者」と評されていたそうですが、「物事の効率化」に非常に意を用いた人物で、見習うところが多いのではないでしょうか。
今回は、やや「てんかのいくさ」にふれるところもあるように思います。ただ、スプルーアンス提督のことを少し紹介したくてこの内容となりました。今年がすこしでも良い一年となりますように。
BGM:リスト ピアノ協奏曲第1番
スヴャストラフ・リヒテル:ピアノ
キリル・コンドラシン:指揮